地獄
亡くなった両親のそのままの姿に会えるなんて、嬉しいかもしれない。でも、それは、彼らが、子供のことが気になりすぎて、あの世に旅立てず、この世にしがみついている・・・つまり、この世地獄にいる、ということを意味するのですよ。
国内最大級映画チケット予約サービス アプリで開く
日本を代表する名脚本家・作家である山田太一作の傑作小説、「異人たちとの夏」を、アンドリュー・ヘイ監督が再映画化した愛と喪失の物語。ロンドンのタワーマンションで暮らすアダムは、12歳の時に交通事故で両親を亡くした40代の脚本家。それ以来、孤独な人生を歩んできた彼は、在りし日の両親の思い出に基づく脚本に取り組んでいる。そして幼少期を過ごした郊外の家を訪ねると、そこには30年前に他界した父と母が当時のままの姿で住んでいた。その後、アダムは足繁く実家に通って心満たされるひとときに浸る一方、同じマンションの住人である謎めいた⻘年ハリーと恋に落ちていく。しかし、その夢のような愛おしい日々は永遠には続かなかった。
©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.
亡くなった両親のそのままの姿に会えるなんて、嬉しいかもしれない。でも、それは、彼らが、子供のことが気になりすぎて、あの世に旅立てず、この世にしがみついている・・・つまり、この世地獄にいる、ということを意味するのですよ。
『#異人たち』。死の境界線の向こう側にいる者だけではなく、最も身近なはずの両親の無理解に悩むセクシャルマイノリティの主人公も「異人」である。肉体の触れ合い、夢と現実の境目がなくなるドラッグ、言葉による対話など、多様なコミュニケーションの可能性が描かれる。ポール・メスカル最高。
始まりと終わりの孤独の違い。 悲しくて、切ないけど、終わりの孤独が命の輝きに見える。
異人たち夏を観た私にはイマイチ響くものが有りませんでした。 昔の鶴太郎さんの演技が頭に残っていて、越えられない壁があるのだと思いました。
正直、見なければよかったとさえ思った。 何も解決していないし、何も進展していないように感じた。 「時代は変わっても性的マイノリティは一人ぼっちで辛いんだよ」と押し付けられているみたいだ。 そりゃあ、マジョリティよりもマイノリティは圧倒的に厳しい思いをするだろうが、それは「性的マイノリティ」に限った話ではない。 どんな世界でもマイノリティはマジョリティに叩かれ、理解され難く、まるで一人ぼっちのようにさえ感じて、辛く厳しいはずではないか? それを、恵まれないと憂いて淋しくなって、孤独になっているのは自業自得だ。 マイノリティでも理解者はいるし、マイノリティ故に恵んでくれる人は少ないのだから、「恵まれ待ち」をしていても満たされないのは当たり前だろう。 勝手に孤独になっておいて、そこに同情を求められても、「そんなんお前の問題や」としか思えない。 なにも、マイノリティによる苦しさや孤独感を否定したいわけではない。 『フィクションあるある設定』の二大淋しい柱「性的マイノリティ」と「幼い頃に両親を亡くした」を採用している以上、この物語が『孤独さ』から始まるのは前提条件でしかなく、実際に孤独であるかは主人公の考え方や行動の結果次第で色付けしなければならないし、行い一つで如何様にもグラデーションされてこそ、物語を描くということだろう。 『孤独さ』はなくならないが孤独ではなくなるとか、反対に孤独に変わりないが『孤独さ』からは開放されるとか、はたまた大きくは変わらないが新しくなにか芽生えるとか、要は孤独な主人公が、感じ、考え、行ったことで、自分の中の何が変わるのか、あるいは変えられなかったのか、どれもこれもあまりにも起きていない。 いろいろあったけど変わらなかった、というわけでもなく、何もしていないし、何も起きていない。だから当然、何も変わっていない。 ただただ長尺で「さみしいよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と訴えられただけで、ストーリーのテーマと言えるものがない。 ストーリー独自の感情がない、と言ってもいい。 画的に両親の愛は乗り越えたように一見思えるが、実際には本人は何もしていないし、両親と別れて恋人のもとに向かった結果、主人公は孤独から開放されていないことがわかる。 結局、孤独の依存先が変わっただけで、主人公を取り巻く環境は変わらず、自分から両親を卒業したわけでもないので、この先も彼は孤独を卒業できないだろう。 それもこれも、本人が何もしていないがため、同情の余地はなく自業自得以外の何物でもないのだ。
衝撃をもって観た、約40年前。 原作の方が先に話題になっていたのも 懐かしい。 主人公(風間杜夫)より、若い父と母。 片岡鶴太郎と秋吉久美子の名演があった。 そして、名取裕子との絡み あのめちゃくちゃ怖いシーンを どうやって観せるのか?と楽しみに していたのだが… あのシーンで流れた曲のインパクトも 強くて、プッチーニも 「私のお父さん」も、初めて知った。 結果は観た人のみぞ知る。だが 前作の中の「異人たち」の孤独に充分 向き合った主人公の優しさには 原作への敬意を感じるエンディング だった。
山田太一原作で大林宣彦監督の「異人たちとの夏(1988)」のリメイク、とても良かったです 大林宣彦版にあったホラー要素をほぼ無くしてごく自然な他者との関係の結び方と今の自分を肯定することに焦点が当てられていて ぼくは大林宣彦版を真夏の「お盆」に霊が浄土(あの世)から現世(この世)に戻ってくるという日本の伝承とつなげていたのですがこの「異人たち」ではシンプルに「もしもあれをやり直すことができたら」的なものに見えました 音が丁寧に扱われていて 昭和の浅草の代わりに80年代の音楽のノスタルジー
ファンタジー要素多めでしたが、亡くなった母にこんなふうに会えたら…といつも思っているので羨ましかった。ゲイムービーでもありますが、それほど際どい内容ではなく普通の切ない恋物語に思えます。 ラストはハッピーエンドではなかったですが、それはそれで納得いく内容でした。 俳優陣が上手いです。
「夏」が消えたのは大きい
異人たちとの夏は大好きな映画です イギリスで設定をゲイカップルに置き換えてリメイクされたと聞いて、楽しみにしていました 大体本筋は一緒だけど、やはり国が違えば雰囲気もだいぶ違いました 両親と別れるシーンはそこかしこですすり泣く声が聞こえました このシーンは映画のクライマックスだと思いますが、私はやはり日本版の方がずっと良いと思いました ただ日本版も名取裕子のシーンは賛否両論あって、私もイマイチだと思っています 大林監督だからトンデモシーンは必然だったのかもしれませんが… 恋人とのシーンはイギリス版の方がロマンチックで自然ですね 登場人物が少なくて、アダムから見える世界のみで展開していきます 日本版では久しぶりに会ったテレビ局の人が、げっそりやつれた主人公を見て驚くシーンがありますが、そういう部分がないとずっと夢を見ているような、現実との境目がよく分からないモヤモヤを感じてしまいました 主演のアンドリュースコットは熱演でした