素晴らしいストーリー
まさか、まさかまさか、というオチだった 泣けた
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1946年5月、戦後まもないローマ。デリア(パオラ・コルテッレージ)は家族と一緒に半地下の家で暮らしている。夫イヴァーノはことあるごとにデリアに手を上げ、意地悪な義父オットリーノは寝たきりで介護しなければならない。夫の暴力に悩みながらも家事をこなし、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を助けている。多忙で過酷な生活ではあるが、市場で青果店を営む友人のマリーザや、デリアに好意を寄せる自動車工のニーノと過ごす時間が唯一の心休まるとき。母の生き方に不満を感じている長女マルチェッラは裕福な家の息子ジュリオからプロポーズされ、彼の家族を貧しい我が家に招いて昼食会を開くことになる。そんなデリアのもとに1通の謎めいた手紙が届き、彼女は「まだ明日がある」と新たな旅立ちを決意する。
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まさか、まさかまさか、というオチだった 泣けた
現在の日本でも同じ背景だなぁと感じた。男尊女卑の構図はいつから始まったんだろ?ラストで監督の本当に言いたいこと伝わった!
イタリアで、ライフイズビューティフルを上回る興行成績を挙げたのも納得! 最後に、愛のことづての意味に気付くでしょう、涙なくして観られない、素晴らしい作品です!
大作ではないけど、映画らしい映画ってこう言うのを言うんだろうな。 ラスト、タイトルの意味を味わい、観て得した気分。 しあわせになるな
圧巻のラストでした。 母を見つめる、誇りと尊敬に満ちた娘のまなざし。 胸が激熱になりました。 根源的であり雄弁である全女性へのエール。 敗戦後のイタリアが舞台ですが 現代でもあちこちで見る問題。 問題の根っこがどこにあるのかを ユーモラスな演出の中であぶり出していました。 男性側(加害は殴ることのみならず、女性への無意識の抑圧を含む)にとってもそれがどこから来ているのかを突き付ける。 男性も気付き救われなくてはならない。 全男性へのエールでもある。 ユーモラス表現でマイルド化してましたが、 かなり痛いです。重いです。 「2回戦争に行ったから」 「優しいところもある人だから」 違うんです。そうじゃないんです。 もし今、真っ只中の人がいるならば、 この映画を観て自分を客観的に俯瞰することができたらよいのですが。 爆破。びっくりしました。 「あなたの為に何でもするよ」って言ってたけども! 同時チョコレート。 未だ見たことのないほど面白い愛の交歓。 これはかなり衝撃で忘れそうにないです。
1946年頃のイタリア、同じ女性として観ているのがつらかった、なんとか助けてあげたい…と観ながら思った。そして選挙に参加できることのありがたさを思った。
タイトル、ビジュアル、ヘッドライン読んでもどんな映画かわからない。かえって気になって見に行く。いつのまにか都内では一館の上映。あれっ、前もこの映画館だったな、見逃してはいかんと、駆けつけたのは。 ↓以下はネタバレ書きます↓ フェリーニや、ヴィスコンティと同時代だが、まったく違う階層のご家族。日本やドイツ同様に第二次世界大戦で負けたイタリア🇮🇹にはまだ、米軍が進駐軍として幅をきかせている。しかし何というDV男達か?平然と妻や娘の稼ぎを徴収しながら暮らしている。(このあたりでもまだ何の映画か知らずに見ている。働き者のお母さんには、小さな生活圏の中に敵も味方も、ファンもいる。義父からも夫からも奴隷扱い。80年程前の時代設定で今では考えられない夫婦スタイルだが、実験は世界中に少なくない数の同様の虐げられた、奥様は存在するのでしょう。ラストのオチについては是非劇場で見て確認して欲しい。 そう遠くない未来にイラン🇮🇷の『TATAMI』、インド🇮🇳の『花嫁はどこ』と共に上映会開かれるのでは?
女は虐げて普通 そこから逃れたい 助けて ではなく女達はもっと未来を見ていた 上映館少なすぎです 愛のことづての意味をスクリーンで見届けて欲しいです
構成がオシャレです さすがイタリアです 最後まで楽しめました
ある意味どんでん返し。胸が熱くなります。リアリズムでやったら辛すぎるシーン話、突然、踊ります。チョコレートを二人で食べる場面、キスの代わりなのか、切なく、しかし笑う。