フォーリング50年間の思い出
※本文にネタバレがあります ネタバレを読む
「父さんは悪かったも愛しているも言えない臆病者だ」 ヴィゴモーテンセンの初監督兼主演作品。 ある夫婦とその息子の話です。 少し認知症がで出てきた父親を自分の近くに引っ越させようとする息子。 そこには愛というよりは「子供はそうすべき」というものがあることが話が進むうちにわかる。 頑なな父。 時に癇癪をおこす老いた父親。 息子のパートナーは男性で2人は女の子の両親だ。 ことあるごとにそこを構う父だが、嫌だとかそうゆうものでなく、とにかく口をひらけば息子や娘、孫や妻だった母親を侮辱しながら会話する父親。 攻めるでもなく、悲しく見つめる息子や娘。 ここからどうなっていくのか。 ヴィゴは自身の絵を描くように、感覚的に映像を組み立てていてとても繊細な映画となっています。 一瞬一瞬が目が離せません。 ◆ネタバレ◆ 父親だからといって、言ってきかせても相入れないこともあるということを私は知っている。 両親がそうだからだ。 寛大な父だがそうなのだ。 心を尽くしたとしても母の言葉以外は父の耳には入らない。 幸せなことにそれだけ2人の関係は深い。 どんなに心を尽くしても夫婦の中には子供は時に分け入ることができないのだ。 父親の気持ちは母が出て行く前、妻の愛が自分にある時までで止まっているのかもしれない。 そして、父親は強がっていたが、 「父さんは悪かったも愛しているも言えない臆病者だ」ったのだ。 父親は老いて息子に助けを求めていても、感覚的に「厄介な」というものを感じとったのかもしれない。若い頃よりも暴言で自らを守っている。 父親は、家に帰ることにする。 父の畳みかけるような暴言でヴィゴの頬がピクッとうごく。鋭い苦痛。 そこで父と息子は、蓋をしていたものを吐き出してしまう。 その後で。 息子は父をここに置いていくことに決める。 「おい、過干渉の別の単語しっているか? 5文字の、、」 「HYPERかな」(異常なほど関心がある) 「ああ、そうだな、、」 父に自分達の形ばかりのフォローはいらないと理解したのだ。 彼に必要なのは変わらない風景と妻の愛した馬たちと妻の思い出だけなのだ。 知り合いに日常の雑事をお願いすることを伝える息子。 父親は、近いうちに死ぬだろう。 しかし息子は手を離すのだ。 それは見放すのではない。放り出すのではない。 手を離すということなのだ。 父は息子がまだ幼い頃、銃を撃たせてくれた。 仕留めた鴨を息子のしたいようにさせてくれた。 時がたち、大物の雌鹿を彼が撃つ事を拒否した時も受け入れてくれた父でもあったのだ。 母も本当に愛したのは父だったのだ。 歯車が噛み合わなくなり、父親の心も頑なになる。母を慕う子供たちの気持ちがわかり、また心が塞いでいった父なのだ。 父の心は随所にある。 家は直さないのに、馬の干草は決してケチらない父。 息子の不注意で水漏れをしても咎めない父。 息子の娘とは仲がいい父。 「だって私たち仲良しだもの」 映画「黄昏」のヴィゴ版といっていいかもしれない。ただ、息子の父は間を取り持つ母がいない。 キャサリンヘプバーンがいないのだ。 ただ独り悪態をついて心に蓋をしているのだ。 妻が愛した馬が倒れた父親を起こす。 父親は母と愛を交わした時を思い出しながら逝く。 、、そしてこれは息子の思い出なのだ。 かれはエアフォースにいたころから 現在は民間機のパイロットになっている。 時間が経っているのだ。 その彼がおもいにふけっている。 タイトルは、だからfalling.. (思い出の中に浸る、、)ということだろうか。 彼は今もあれでよかったのかと胸が疼いているのかもしれない。 今、様々な感情が愛おしくなってゆく。