Tomorrow is another day
明日考えよう。人生最高の一本。 どんなに苦しくても、今日を生き抜けば明日考えることができる。生き抜く強さを教えてくれる名作中の名作
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1861年、南北戦争が始まろうとする直前のアメリカ南部。スカーレット(ヴィヴィアン・リー)はジョージア州タラの大地主の娘として生まれ、上流階級の優雅な日々を満喫していた。美しく気位の高いスカーレットは、社交界の華として多くの男からもてはやされていたが、スカーレットが好意を抱いているアシュレー(レスリー・ハワード)には振り向いてもらえない。さらに、彼がスカーレットの幼なじみである地味で大人しいメラニー(オリビア・デ・ハビランド)と結婚すると聞いて心穏やかではなかった。結婚式当日、再度好意を示しても拒絶されたスカーレットは、誰もいないと思われた部屋で、いらだって手近な壺を叩き割るのだった。運の悪いことに、それを評判の悪いレット(クラーク・ゲーブル)に見つかってしまうのだが、感情的なスカーレットにむしろ魅力を感じ、レットは軽い調子でアプローチをかける。スカーレットは失恋からアシュレーの兄チャールズと結婚するのだが、戦争でチャールズは帰らぬ人となってしまう。若くして喪服に身を包むスカーレットだったが、そんなときに偶然レットに再会してしまう。
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明日考えよう。人生最高の一本。 どんなに苦しくても、今日を生き抜けば明日考えることができる。生き抜く強さを教えてくれる名作中の名作
ありきたりだけど、不朽の名作ということばが最初にでてきた。クラーク・ゲーブルの男らしさ!ビビアン・リーの美しさ!だけではない。 舞台設定もすべて豪華で、これが戦前作られてるというのが、アメリカと日本の国力の差を感じてしまう。この映画を戦前観たら、あめりに勝てるなんて思わなかったんじゃないかな。
7万票のリクエストから25本を厳選した今年の『午前十時の映画祭15』。 本日は今でも世界歴代興行収入第1位、ロマンス映画かつスペクタクル映画の金字塔『風と共に去りぬ』をTOHOシネマズ新宿さんで鑑賞。 『風の共に去りぬ』(1939年/222分) 中学時代に映画通を名乗るにはと通過儀礼のように鑑賞して以来、実に40年ぶりの鑑賞。 本編222分、休憩を含むと約4時間の超大作。 スカーレット(演:ヴィヴィアン・リー)とバトラー(演:クラーク・ゲーブル)のロマンスを軸に描いた作品と記憶していましたが、改めて見直すと大規模な弾薬庫の炎上シーンやアトランタ駅周辺の数千名の負傷兵のシーンなどとにかく壮大なスペクタクル超大作。 カラー作品なので見過ごしがちですが、制作は戦前の1939年、ちょうど第二次世界大戦開始された85年以上の大昔で、当時のハリウッドならびにアメリカの勢いに驚嘆です。 ストーリーも甘いメロドラマ、ラブロマンスだったような記憶でしたが、実際は利己的で傲慢、他人のことなどお構いなしの鼻つまみ者、貞操観念ゼロで性悪、それでも常に自分に正直なスカーレットと、彼女の生命力あふれた精神に心惹かれるバトラーの長きにわたる一途な思いを描く作品。 そんなスカーレットが南部の恵まれた上流階級から一転、南北戦争の敗戦でその日の食事にも窮する極貧の無一文から手練手管を弄して再び這い上がる「細うで繁盛記」のようなドラマ展開。 ラストも本当の愛を知って改心したときには、時すでに遅く、バトラーとの悲恋の別れ、それでも明日に向かって力強く前を向く…。 原作本も当時空前のベストセラーになったとのことですが、伝統的な価値観や女性観を打破、男に依存しない自立したスカーレットに多くの女性たちが共感、支持をしたのでしょうか。 まさに風(南北戦争)と共に去りぬ(南部の上流階級社会)激動の時代を生き抜く難役スカーレットをヴィヴィアン・リーが時にエレガントに、時に力強く演じており適役。 またスカーレットの激情を表現したかのようなタラの燃えるような夕焼けは実に壮麗で印象に残ります。 確かに単なる恋愛ロマンスの範疇に収まらない、ドラマ性とスペクタクルを兼ね備えた名作ですね。
「いつの日も明日は明日の風が吹く」 午前十時の映画祭15にて鑑賞。 我が生涯第3位(途中までは1位だった)の本作が、今後もこの地位を明け渡すことはないだろう。 13歳で初めて全編鑑賞した時の達成感は今でも忘れない。以来、何度も観てきたし台詞も粗方覚えている。にも関わらず何故今更スクリーンで観るのか?答えはただひとつ、そこに「風と共に去りぬ」があるからである。 午前十時の映画祭15がラインナップを投票で決めると発表した際、僕は真っ先に本作に票を入れた。むしろ焦ってさえいた。何度も観た作品だが劇場で観たことがない。加えて昨今の多様性の風潮からすれば、本作は真っ先に批判の矢面に立たされる作品であり未来永劫劇場で上映されなくなるかもしれない。そんな焦りがあったからラストチャンスのつもりで票を入れた。 幸いなことにラインナップに滑り込み、そしてようやく念願叶った。開始早々のジョージアの夕陽をバックにタイトルが横すべりし、「タラのテーマ」が鳴り響くシークエンスだけでもう涙目。4時間近い上映時間があっという間だった。 奴隷制度、そして南北戦争という日本人には馴染みの薄い題材ながら、本作が日本人に与えた影響は計り知れない。日本人を最も絶望させ、そして希望を与えた作品と言っていい。アメリカ公開の2年後に始まった太平洋戦争当初、向かう所敵なしだった日本軍は各地で本作のフィルムを押収した。フィルムを観た人々が口を揃えて言ったこと、それは「こんな映画を作る国と戦争をしても勝てるわけがない」だった。やがて日本は敗戦を迎え、1952年になってようやく日本でも一般公開となり、以来多くの観客が劇場に足を運んだ。戦争で荒れ果てたタラで、スカーレット・オハラ(演:ヴィヴィアン・リー)が朝日に向かって「二度と飢えには負けない」というシーンは、当時の日本人の支えとなった。はっきり言って、スカーレットはゲスの極み乙女だ。自分の目的のためなら手段を選ばないし、仮に自分の目の前にいたら本来であれば大嫌いになるのが自然である。しかし不思議と彼女のことは嫌いになれない。彼女がすることは不思議と許せてしまう。彼女は狡い、しかしそれ以上に行動できるところに僕は強さと憧れすら抱いてしまうのである。レット・バトラー(演:クラーク・ゲーブル)との関係も、擁護をさせてもらうならば彼女たちふたりきりであればうまくいったのではないかと思う。或いは結婚ではなく業務提携だったならば。しかし時には優しさすら彼女たちの邪魔になったがために結局すれ違いのまま終わってしまったのは残念でならない(個人的にはボニーですらふたりの関係をおかしくしてしまったと思っている)。 書きたいことはいくらでもあるし、原稿用紙をいくら渡されても足りないというのが本音なのだが、兎にも角にもスカーレット・オハラという存在は自分にとっては永遠に憧れであるし、いつでも心の片隅に留めておきたい存在なのでえる。 本作の製作は混乱を極めた。元々がベストセラー小説の映画化という経緯もあり、監督は二度も交代、スカーレット役は全米でオーディションを行っても決まらず、キャスト未定のまま撮影開始、さらには台詞の表現やキャストの起用を巡って製作費の裏で罰金や課徴金も多く課された。それでも本作が今日まで不滅の存在たり得ているのは、スカーレット以上に強情なプロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックによるところが大きい。製作当時は相当嫌われたらしいが、これだけの作品を遺してくれたことにただただ感謝したい。 明日もまた別の作品を劇場で観る予定だが、果たしてこの余韻を引きずらずに行けるだろうか...考えるだけで頭が痛くなる。まあいい、明日のことは明日考えよう。
「Blackkklansman」観てください。 日本とKKKの間でしか名作とされてなさそうな映画。 南北戦争とか、アメリカの歴史を少しでも知ってる人なら、ハイスコアはつけないはず。 ただ、邦題素晴らしい。 「風と共に去りぬ」そのままだけど、素晴らしい。