これは断じて認知症の映画ではない
これは人生で誰もが思ったことがある、あの分かれ道で違う道を選択をしていたらこうなっていたのでは、という選ばなかった道の話。もしくは選べなかった道ともいえるかもしれない。要するにスパイダーマンにおけるマルチバースの世界とも言える。 映画はそ… 続きを読む
これは人生で誰もが思ったことがある、あの分かれ道で違う道を選択をしていたらこうなっていたのでは、という選ばなかった道の話。もしくは選べなかった道ともいえるかもしれない。要するにスパイダーマンにおけるマルチバースの世界とも言える。 映画はそれらが同時進行でくんずほぐれつごちゃ混ぜになって描かれる。まるで認知症の方の頭の中の如く。しかしそれは認知症の方だけでなく我々の頭の中でも日常的に起っていることなのだ。何かが引っかかった時にそこから芋づる式に良いことや悪いことが蘇る。その傾向で人間性がわかるのかもしれない。ワタクシの場合、悪いことばっかり思い出される。うじうじ、うじうじ(笑)。 どうせなら良いことばかり思い出したいところだがそれがなかなかできないのが性格か。損をしている気にもなるがそれはそれで嫌いではない。 認知症は認知が苦手になる病気なだけ。 感情は関係ない。 なぜ感情がない扱いにされてしまうのか。 それは認知症という病気の理解が一般に進んでいないからだろうと思う。それにしても医者がそれに気付かないのは納得がいかない。違う分野かもしれないが医者の根本的な問題だと思う根本的な。感じの悪い医者が多過ぎる。 感情の揺れ動きは理解できる。 身近な者が死んだ時に悲しみ方は人それぞれだ。 死んでも魂は生きていると考える人もいるだろう。 そんなことは意味がないという人もいるだろう。 私も同じような経験のあと「死んだからこそ余計に近くに感じることができる」という文章を読んで憤りを感じたものだ。そんな訳あるかと。時間が経つと理解はできる(納得はできないが)。 ただ同じ体験をした人が、自分にできることでその悲しみを少しでも癒せるのなら、まずは自分を置いておいてできることをする器の大きさは持っておきたい。 それぞれの違うパートで感情的な繋がりがある部分もよかった。誰かの死を前に静か過ぎて嫌いと感じた感性が、窓の外を地下鉄が走る騒がし過ぎるニューヨークの雑踏の中に住ませた。認知症には完全によくない環境なのだが。 ラストの解釈は意見が分かれると思うが、これからあなたたちの前にも道はたくさんある、さあどうする?と言われているようだった。