ファン映画が乗り越えるもの
「あの」高橋ヨシキ氏の初監督作品ということで、私自身がそうだが監督のファン層を中心に盛り上がっている「話題作」枠の一作だろう。その意味では、本作の向けられている対象も限られた層なのかもしれない。 『激怒』は非常にメッセージ性の強い作品となっ… 続きを読む
「あの」高橋ヨシキ氏の初監督作品ということで、私自身がそうだが監督のファン層を中心に盛り上がっている「話題作」枠の一作だろう。その意味では、本作の向けられている対象も限られた層なのかもしれない。 『激怒』は非常にメッセージ性の強い作品となっている。現代社会に対する明確な批判と、それに抗するための「怒り」の肯定である。そしてその表現としての暴力もまた肯定される。 本作では、現代社会は管理する側/される側、虐げる側/虐げられる側の二項対立によって描き出される。徹頭徹尾虐げられる弱者の側に立つ監督は、社会を分かりやすい悪玉として描き、相対化のそぶりを見せない。むろん必ずしも相対化しなければならないわけでもないわけで、それは監督の確固たる信念の表れであるのだろう。どっちつかずの日和見主義的な煮え切らない批判精神より、率直な意見表明の方が好意的に受け止められることもある。監督の熱狂的なファンであればなおさらだろう。ただし、いささかナイーブに過ぎるその社会観に対して違和感を覚える観衆もあるのではないか。 それ以上に違和感を禁じ得なかったのは暴力に対する意識の違いである。これも監督の作家性であろうが、本作は暴力をいかに描くかという点にも並々ならぬこだわりがある。そこには、暴力に対して過度に忌避する潔癖な現代社会への批判意識もやはりあるのだろう。 一方で、本作における暴力は、プロットにおいて重要な要素でもある。詳述は避けるが、本作が単に暴力を映像表現として見せつけるだけでなく、そのありようについても描き切ることができていれば、『激怒』はより本質的な、深みのある作品になったように思う。この暴力の扱いについては、解釈次第ではそういう点(「暴力とはいかなるものか」という問い)に切り込んでいると言えなくもないのだが、しかし現状の描き方では、素朴な暴力の肯定、暴力賛美であると受け取らざるをえないだろう。 それこそが監督の思想であるのなら、もはや立ち入ることはできないし、ファンダムにも受け入れられよう。その意味で、やはりこの作品は、監督のイデオロギーに賛同するか否かで、評価が如実に分かれると言えるだろう。おそらく製作側もそれは織り込み済みなのだろうし、商業戦略として全く正しいが、その内向きな姿勢には残念と言わざるをえない。画作りは見事であり、監督のこれまで培ってきたキャリアとセンスが遺憾なく発揮されていただけに、風刺のあり方について最後まで違和感が拭えなかった身としては「俺は真のファンではなかったのだなあ」という淋しさを抱えながら映画館を後にした。 高橋ヨシキ氏の熱狂的なフォロワーこそ観に行くことをおすすめする(私がおすすめするまでもなく行くだろうが)。低予算ゆえの悲しみか、一番の見どころである「激怒」の場面も立ち回りがどうしてもしょぼく見えてしまうが、ファンであればその程度の障壁は軽々と乗り越えてくれるにちがいない。 追記。酷評めいた感があるが、邦画という括りではかなり完成度の高い作品であることは間違いない。昨今の邦画に蔓延している絶叫感動主義、エモエモ言ってるしょうもない作品群とは一線を画するものであり、その中に埋もれてしまっては実に残念である。大手シネコンでかからなければ注目されない現状には辟易するが、このような作品こそ、衆目の中で評価の目に晒される必要があるように思うのである。とはいえ、監督の人となりから推測するに、下手に注目され大衆に消費されてしまうことは本意ではないのかもしれないが。