表現者へのエール
starstarstarstarstar - 3年前
良い意味で思ってたのと違った!
勝手にノスタルジックな映画愛に溢れる作品だと思っていましたが、自分らしくあることへの犠牲と覚悟…スピルバーグ監督から、今この時代に“表現”しようとする全ての人たちに向けてのエールでした。
そして、観客の私たち… 続きを読む
良い意味で思ってたのと違った!
勝手にノスタルジックな映画愛に溢れる作品だと思っていましたが、自分らしくあることへの犠牲と覚悟…スピルバーグ監督から、今この時代に“表現”しようとする全ての人たちに向けてのエールでした。
そして、観客の私たちにも…ラストショット。カメラを覗く作り手の目線に「これから作られる映画たちをお楽しみに!」と言われた気がしました。
全編、光と影がとても印象的です。
映画は光と影の芸術だからですね。
映画の持つ光と影、良い影響があれば悪い影響もある。
そして人間の持つ光と影。
光だけのものはない。両方あるから複雑で美しい。
自分自身に正直に生きること、自分自身を表現することは、誰かを犠牲にしたり、傷つけてしまうこともある。
「でも、それを怖れないで。」
同じくアカデミー作品賞にノミネートされている『イニシェリン島の精霊』にも通じるテーマだと感じました。
世の中には自らを表現せずには生きられない人間と、表現しなくても生きられる人間がいる。どちらも良くてどちらも悪いけれど、自己表現や自己主張には区別と選択が伴う。
何かを選ぶということは、何かを捨てるということ。
『イニシェリン島…』はかなりストイックに突きつけてきますが。笑
女性問題から多様性ダイバーシティへ。環境問題からSDGsへ。
この数年で社会は成長した。
お互いに認めあう世の中で、自分の思いを表現することは、時として配慮が足りないと指摘されることもあるだろう。
「でも、それを怖れないで。」
『フェイブルマンズ』は悲しんでいる家族を前にカメラワークを考えてしまうような…どうしようもなく表現する側の人々を勇気づける作品だったと感じます。
映画がもたらすドキドキやワクワクに魅了された少年は、映画でメッセージを伝えることができることに気づきます。
役者の演技はもちろん、編集や様々な技法で表現された映画は、人々の心に深く入り込み、非常に影響力を持ちます。
なかでも興味深かったのは、虚像に対する苦悩。
これは観客にも責任があり、社会が成長したように、観客も成長しなければならないと感じました。
一昔前だとドラマの敵役はファンから嫌われたりしました。
さすがに今どき、悪役だから悪い人だと思う観客はいないでしょうが。
映画マジックが生んだ虚像を、演じる人に重ねてしまうこと自体は、今もなおあるのではないでしょうか?
あまりにもリアルな演技だと、あたかもその人自身のように感じてしまいますが、
正義のヒーローを演じた役者に、プライベートでも同じイメージを求めていないでしょうか?
人間なので間違うこともあるのに、ガッカリしすぎたり、必要以上に注目して大騒ぎしすぎていないでしょうか?
さすがに昔のゴシップやパパラッチほどタチの悪い暴かれ方は無いにせよ、逆にSNSなどで縮まった距離からの過剰な反応には、いくら夢を売る商売の人とはいえ精神がもたない。
観客も分別を持って作品とは切り分けて見るように、成長しなくてはいけない気がしました。
使い捨ての消費社会も描かれていて、今の感覚からすると本当に衝撃です。
今とは全く違う社会の価値観の中で生まれた作品たちは、その当時のテーマを当時の尺度で描いている。
昔の映画で描かれる価値観や倫理観を責めて作品を排除するのではなく、見る側の観客がきちんと作られた時代を加味することで学ぶべきテーマが見えてくると感じます。
今までに作られた映画へのリスペクトと、これから作られる映画へのリスペクト。
引き算の余韻に巨匠の余裕を感じました。
おまけ
ある学生から「映像を作る時に、自分の作品が誰かを傷つけるのが怖い。どうしたらいいでしょうか?」と質問され
「そんなことなら作るな。それが怖いなら作る資格がない」と答えたのは、大島渚賞の審査員である坂本龍一さんです。
物心ついた頃からスピルバーグ監督だった
starstarstarstarstar - 3年前
3/5 TOHOシネマズ海老名
昨年公開された『こんにちは、私のお母さん』の冒頭ではないですが、私にとってスピルバーグ監督は物心ついた頃から“スピルバーグ監督”でした。
確か初めてみた監督の作品はTVでの『JAWS』でしたかね。
本… 続きを読む
3/5 TOHOシネマズ海老名
昨年公開された『こんにちは、私のお母さん』の冒頭ではないですが、私にとってスピルバーグ監督は物心ついた頃から“スピルバーグ監督”でした。
確か初めてみた監督の作品はTVでの『JAWS』でしたかね。
本作を観ると、やっぱり監督も我々と同じように家庭に悩まされ、いじめも受けて、失恋もしてとある意味「普通」の子供時代を過ごしてきたんだなと安心しましたね。
でも銃撃戦にリアルさを出すために、フィルムに穴を開けるアイデアを思いつくのは非凡ではありますが。
ファンとしては処女作である『激突!!』くらいまで描かれていたら満点でしたけど、それは望み過ぎでしょうか。
あの巨匠のカメオ出演には驚きましたよ😆
映画と秘密
starstarstarstarstar - 3年前
※本文にネタバレがあります ネタバレを読む
スピルバーグのファンというわけではないのだけれど、予想以上に良かった。自伝的作品だからなのか(事実は小説より奇なり⁈)、いろんなエピソードや登場人物たちが型通りでないのが、大変興味深く面白かった。
初めて観た映画のなかの列車の衝突脱線場面の衝撃を、おもちゃの列車で再現しようとする主人公を叱るのではなく、カメラを与えて撮影することを勧めるお母さん。このお母さんが素晴らしい。
ピアニストであるお母さんの手を守るために、家族の食事は毎回ピクニックのように、使い捨てのテーブルクロスの上で紙皿とプラスチックのカトラリーで済まされる(ユニーク!)。
その脇で、ぶつぶつと文句を言う世間の代表のような父方のおばあちゃん(小言を言うというのではなく、ただぶつぶつ言ってるだけなところが好ましい!)。
三世代家族の食卓に常に同席するのは、父親の部下で親友のベニー。彼は大の冗談好きで、何でもかんでも混ぜっ返すのが得意で皆を喜ばす。(孫たちが「ベニー叔父さん:と呼ぶのを、血縁ではない…とぶつぶつ文句言う父方のおばあちゃん。)
亡くなるとき、心電図がフラットになった後、寄り添い語りかける娘の脇で再び目を開けた母方のおばあちゃん。このおばあちゃんは死後、娘に電話までかけてくる!(死者からの電話という話は聞いたことがあるが…。)
このおばあちゃんの恐怖の?電話予告の後、突然姿を現わすおばあちゃんの兄、ボリス伯父さん。彼はサーカスのテントの杭打ちからライオン使い!を経て、ハリウッドで映画の仕事をしていたひとで、映画好きのサム少年の良き理解者なのだが、その奇人ぶりにサム少年は些か、たじたじ気味。(このボリス伯父さん、わたしも大好き!)
と、そこまでは楽しい日々だった…。が、やがて黒雲が立ち込み始める。
8mmフィルム編集機と引き換えに父親に頼まれ、家族で出かけたキャンプの8mm映像を編集していたら、少年はそれまで気づかなかった母親の秘密に気づいてしまう。
この映画の第一の山場であるこの場面は秀逸だ。え?え?どういうこと?と、サム少年が観ているフィルムで、衝撃の事実が、家族の要であり太陽であるサム少年の母親の秘密が示される。思わず後ずさりするサム。自分が何気なく撮った8mm映像のなかに、それがなければ気づかなかったであろう母親の秘密が捉えられている…。
知りたくもなかった秘密を知ってしまい、そのショックで少年は深く傷つく。自らが撮った映像に傷つけられるのだ。
そして数日後その映像は、向き合うことを避けていた真実を突きつけられた母親本人を慟哭させる。決して誰にも言わないから、と少年は母親に約束する。
楽しみだったはずのカメラは忌まわしいものと化し、少年は、引っ越しを控えカメラを手放す。カメラも映像も映画ももううんざりだ…。
しかし引っ越し先のハイスクールでいじめに遭い、再び彼はカメラを手にすることになる。意気消沈し何をする気にもなれなくても、カメラを手にすれば、何かできるかもしれない…。
ガールフレンドの勧めで、彼はガールフレンド(このガールフレンドもかなり面白いキャラ)の父親所有の高価なアリフレックスを借り、ハイスクールの「おサボり日」映画を撮る。かつて撮った西部劇の手法で映画を仕上げ、上映会となるのだ。(この映画のなかのカモメの糞に見えるのは、実はアイスクリーム!)
最初からフィクションだったかつての西部劇とは異なり、「おサボり日」の浜辺の同級生たちを撮ったドキュメンタリーフィルムなのに、それを西部劇の手法で仕上げたため、主要役者2人(=彼をいじめた2人)、嫌われ者役とヒーロー役の双方から文句が来る。映画が意図せずしてカリカチュアとなっていたのだ。(ここでのヒーロー役ローガンの異議申し立てにはちょっと感心する。この男、中身空っぽなわけじゃないなと。)
最後の山場であるラスト。「映画史上最高の監督」とだけ教えられ名前を知らされなかった監督が誰であるかを、待っている部屋に貼られた映画のポスターを見回しながら、少年と共にわたしたちも知る。えーっ、あのひと…⁈
そしてその大監督が部屋に入ってくる。このあとのやりとり(地平線!)が素晴らしい。退出際の少年のthank you!に、監督は微笑んで「こちらこそ(my pleasure)」と答えてくれる。ほんの2、3分なのに、大監督のただならぬオーラは、このラストを観るだけのためでもリピート鑑賞したいほど。この大監督を演じた大監督に助演男優特別賞を授与したい。
(蛇足ながらアカデミー賞作品賞、監督賞はこの作品か「イニシェリン島」に。)
この映画のなかで、サム少年は、自分が撮った映像で自らが傷つくだけでなく、そこに登場する身近な人間を2度泣かせる。1度目は母親を真実に向き合わせることで、2度目はハイスクールの同級生ローガンを美神のように描く(=意図せずして茶化す)ことで。映画は真実を捉えることでひとを泣かせ、他方、真実を捉えないことでもひとを泣かせるのだ…。
また、この映画のなかで、映画作りは心を引き裂く孤独な仕事だとボリスおじさんはサム少年に言う(そのあとキャンプ映像事件が起きる)。2度目、ラストの大監督も、映画作りは心がズタズタになる仕事だと言う。
映画を作る側ではない人間には即座にはよくわからないその言葉の意味することに、思いを巡らさずにはいられない。
芸術との衝突
starstarstarstarstar - 3年前
※本文にネタバレがあります ネタバレを読む
見方を間違えたかも。
映画好きな少年の成長譚だと思ってみるんじゃなくて
スティーブン・スピルバーグの自伝映画として見た方が良かったかも。
いやでも、逆に感じた人もきっといる。
自伝映画じゃないじゃんて。
ノンフィクションをフィクションですって言ってるみたいで、結局は自分の話なんでしょ?と思うと、スティーブン・スピルバーグが好きでも嫌いでも詳しくもない自分からすると思ってたんと違った。
内容もたくさんあって
結局なんだったのかよく分からなかった。
映画を作ることの面白さや恐ろしさ
科学と芸術のコントラスト
家族や友情、何事にも意味がある
というより、意味を見出せるということなのかな。
初めて見た映画に衝撃を受けて
それを再現したい、自分の思い描く映像を撮りたい
徐々に意志に輪郭が現れていくのはリアルだった。
映画を作ることは痛みを伴うという叔父の言う通り
母の想いが違うところにあることを知り、
父とも将来のことでぶつかってしまう。
一方で得るものも多く、家族との思い出や、周囲からの賞賛、いじめっ子への復讐などいずれも意図せず結果的に手にしたことでサムが成長していく端緒となる。
サムはずっと自分にとっての衝突を必要としていて
それが映画を通して手にできるものだったのかな。
映画は映像を映すだけなのに、
そこには実像も虚像も映る。
家庭を壊す身勝手な母は全く理解できなかったし、かっこよく描かれたことで混乱するいじめっこの感情も難しかったし、結局自分の思うように生きるしかない。他人のことは理解できない。もう呆れて諦観したようにも見えちゃった。
ラストシーンも、
地平線は下にあっても面白い
地平線は上にあっても面白い
でも真ん中にあるのはくそほどつまらない
という、言葉を受けてから
ラストカットで地平線が真ん中にきて
思い出したかのようにカメラが上を向く。
だから映画は面白いんだろうし、
だから何が面白くて何が面白くないのかわからなくなる。
地平線はどこにある?
starstarstarstarstar - 3年前
「小僧、地平線はどこにある?」
9回裏2アウトからのサヨナラホームランです、ええ。
殊勲賞はデヴィッド・リンチです。
そうですか…スピルバーグにとって「映画史上最高の監督」はあの人なんですね…
終わり良ければ全て良しなのですが、そうな… 続きを読む
「小僧、地平線はどこにある?」
9回裏2アウトからのサヨナラホームランです、ええ。
殊勲賞はデヴィッド・リンチです。
そうですか…スピルバーグにとって「映画史上最高の監督」はあの人なんですね…
終わり良ければ全て良しなのですが、そうなった要因をいくつか書き留めておく
①てんこ盛りの内容:あまりに内容を詰めすぎてひとつひとつがダイジェストになっている。よって感情移入がなかなかしづらい。
②アメリカナイズされた生活:アメリカのライフスタイルが一般的ではない日本人の僕からすると、ハイスクールライフやアメリカの庶民感覚が今ひとつピンと来ない。更に言えば宗教の重みもよく分からない。背景が共有されないとキツい。
③僕自身が根暗:基本僕陰キャなので、「おサボり日」とか「プロム」とか眩し過ぎて辛かったです。誰かプロムで「ジョニー・B.グッド」歌ってメチャクチャにしてくれよ...
それはともかく、子供の発想は本当に天才的。初期のホームビデオで使われた工夫がどれも目から鱗。
「好きこそ物の上手なれ」といったところでしょうか?
でも、全部持って行ったのはデヴィッド・リンチ。彼は何故「こちらこそ」と言ったのだろうか?そのことばかりが頭をよぎって仕方ない。