☆4.3
買い手がいるから売り手がいるのに、買う男は許され“買男”などと呼ばれない。売る女は罵られ命すら奪われる。妊娠した側が蔑まれても、妊娠させた側は話題にすら上がらない。独身の女なだけで同じサービスを拒まれる。売っていない者すら値踏みされる。見下… 続きを読む
買い手がいるから売り手がいるのに、買う男は許され“買男”などと呼ばれない。売る女は罵られ命すら奪われる。妊娠した側が蔑まれても、妊娠させた側は話題にすら上がらない。独身の女なだけで同じサービスを拒まれる。売っていない者すら値踏みされる。見下される。片や加害者なのに庇われ崇められ、片や被害者なのに二次加害される。この非対称性を維持し利用し行使する側の人間など、イランにとどまらず珍しい存在ではない。 鑑賞後に思い出した文がある。 「極論を投じ、勝ち負けで計測していく。計測するのは自分。こればかりやっている。(中略)とにかくなにがしかの価値を測り続けている。自分の尺度で測れば、自分の価値は上がり、それ以外の価値は下がり続ける。差別や戦争は常にこういった身勝手な比較から生まれてきた。」 (『父ではありませんが 第三者として考える(武田砂鉄,集英社)』 サイードに、彼の支持者に、いやこの世の何者にも他の誰かの価値を測る権利がどうしてあると思えるのか。なぜ下すのが自分だと思えるのか。一体何様なのか。いやまじで何様だよてめえ。 そこにあるのは勝手に属性で括り勝手に値踏みし勝手に見下す「選別する側」の奢りだ。それを許しているのは誰か、誰が中心の誰を普通と想定した社会か。身勝手に奪われ理不尽に扱われた者ではなく、奪い加害を重ねる者とそれを許す社会にこそ罵声と中指を送り続けたい。 往来で禁止されている、ましてや女性からするキスは、自由への渇望と祈りのようだった。 また、キスを贈られた彼も序盤で性被害は女性の問題ではないかと悪気なく言ってしまう。そんな“普通の”男性をラヒミが即「ダメだこいつ」と切り捨てず連帯できたという変化に希望を感じた。 《余談》 結果がわかっている上、女性の苦しむ姿を映す殺害シーンは初犯こそしても何度も詳しく描写しなくて良かったかと。むしろその方がラストの子どもですら周囲に染まって娼婦を見下し、無邪気に妹を見本にその手口の詳細を語るという、環境が齎す蔑視のグロテスクさが際立ったのでは。 その上で、ミステリの倒叙法形式で描かれるサイードのエスカレートしていく様子や世間の空気をより詳しく描いて欲しかった。サイードを擁護する群衆のシュプレヒコールではなく、構成する一人ひとりの発言、プラカードの内容、サイードを擁護しているわけではないが娼婦へ偏見を持っている“普通の人”の声、被害者の死を実直に嘆く声(最初の被害者の娘とか)、当時(2000〜2001年)の実際の映像や記事を入れるなどした方が、“女性差別が強いイランのミソジニストがたまたま起こした凶悪事件”ではなく、世界中に蔓延る女性蔑視によるありふれた現実との地続きの事件であることを描けたのでは。 (「脳内クラウド共有してんのか?」というくらい本当に万国共通で同じことを言うので) 《パンフレット》 キャストインタビュー、寄稿文、実際の連続殺人事件のきっかけと解説、イランの宗教都市マシュハド、イスラム教が法より強い社会、イスラム革命、司法(キサース法と賠償金)、イランにおける売春、社会に蔓延するミソジニー、イラン国内で規制される映画界やジャーナリズムの事情、女性が喫煙する意味、ラストのキスの意味など情報盛りだくさんの48頁。購入推奨。 (字幕翻訳:石田泰子)