知性とは優しさ
知をありったけの愛で溶かし、優しさで噛み砕き、魂を賭け子どもたちと向き合い注ぐ。毎日毎日… 校長先生の生き様は本物。これぞカッコいい。プレスリーと伴に。
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北アイルランド、ベルファストにあるホーリークロス男子小学校で行われている哲学の授業を2年間にわたり記録したアイルランド・イギリス・ベルギー・フランスの合作映画。北アイルランド、ベルファストにあるホーリークロス男子小学校。ここでは「哲学」が主要科目になっている。エルヴィス・プレスリーを愛し、威厳と愛嬌を兼ね備えたケヴィン校⻑は言う。「どんな意見にも価値がある」と。彼の教えのもと、子どもたちは異なる立場の意見に耳を傾けながら、自らの思考を整理し、言葉にしていく。授業に集中できない子や、喧嘩を繰り返す子には、先生たちが常に共感を示し、さりげなく対話を持ちかける。自らの内にある不安や怒り、衝動に気づき、コントロールすることが、生徒たちの身を守る何よりの武器となるとケヴィン校⻑は知っている。かつて暴力で問題解決を図かってきた後悔と挫折から、新たな憎しみの連鎖を生み出さないために、彼が導き出した1つの答えが哲学の授業なのだ。
© Soilsiú Films, Aisling Productions, Clin dʼoeil films, Zadig Productions,MMXXI
知をありったけの愛で溶かし、優しさで噛み砕き、魂を賭け子どもたちと向き合い注ぐ。毎日毎日… 校長先生の生き様は本物。これぞカッコいい。プレスリーと伴に。
自分の見てきた社会を自分の感じてきた社会を次の世代の子供に感じたまま渡すような教育に同感です。 その子供達はそれをどう受け取りどう次の世代に伝えるかはその子供達がそれぞれ考えるべきだと思うし押し付けるものではないと思います。
「考えること、言葉にすること」 それができるように 子供に問いかけ、言葉を教える(語彙を増やす)ことが、 大人の役目なのだと思いました。 暴力を振るってしまった子供たちに、 気持ちを問いかけ、暴力に訴えない考え方を教え、 ユーモアも交えて、子供へのリスペクトを必ず伝えていたのが 印象的でした。 後ろ2つが自分は出来てなかったなぁ、と振り返りました。 人を怒らず行為を叱ると、よく言われますが、 行為を叱ることとセットで、子供にリスペクトしている点も伝える と言うのが具体の対応の1つなのかもとも思いました。
これ、小中学校や保育園、幼稚園の先生方や教育関係のお仕事されている方、特に校長先生に観て欲しい。 大人数で一人の子を攻撃した場合どう対処するか、どんな声かけをしたらいいか、 その部分だけでも観て考えて欲しいと思った。 どんな素敵な対応を重ねたとしても、問題は起こる。そうなんだけど、根本的な考え方が大切なんだと改めて気づかされた。
紛争、貧困、薬物が子供達に与えた影響は計り知れない。やられたらやり返せと子供達に教える親たち。 そんな中で、さまざまな角度から物事を捉えて考える思考方法を、暴力では平和は創られないのだと、まさに命懸けで奮闘している先生方の姿は驚きと尊敬以外の何物でもない!
イギリスから分離後も、30年近く内戦が続いている北アイルランド。 親達世代までは「やられたらやり返す」というサバイバルスキルを持ち、当然子ども達にも正義として伝えている。 いわゆる「世代間トラウマ」。 ギリシャ哲学とは対話する哲学だそうで。 小学生達に徹底的に対話させ、多様性を認め合っていくなかで、暴力によらない方法を教えていく、筋トレ&プレスリーLOVEなケヴィン校長先生の取り組みが、素晴らしいったらないドキュメンタリー。
こんな大人が学校にいたら、そばにいたら子どもたちの育ちは変わるに違いない。 「どんな意見にも価値がある」という姿勢で子どもの意見を引き出していく。 自分の場合、特に意見を言うのが苦手な子どもで「こんなこと言って大丈夫かな」と思ってしまう方だったし、 自信がないと自分の意見を言葉にするよりも、 「どんな発言をするのが正解か」と考えると言う悪癖までついてしまう。 そうなると、いつの間にか、自分がどう感じていて、どう考えているのか分からなくなる。 つまり本当の自分が見えなくなってしまうのだ。 何が言いたいかというと、 だから「どんな意見にも価値がある」という前提は人を育てる上で不可欠なのだと改めて思った。 でも、それが建前だけだと、すぐに子どもは察するだろう。 校長からは子どもたちに様々な問いが発せられる。 それは、自分で考える、、ということの大切さを教えてくれている。 問われることで自分で考える。 そうすることで、無意識に持ってしまった自分のものではない考えにも気づけるように思う。 「問う」ということの大切さを教えてくれた映画だった。 先生たちが、生徒との関係を「家族」と言っていたことも、すごいことだと思った。本当にそのような関係なのだと納得がいく。 先生が「お母さんに話しておくから、大丈夫」と子どもに言って安心させる。 先生の方が子どもと親との間に入ってくれていることに、ハッとさせられた。 家族より、子どもを理解していて子どもの側に立ってくれているように感じられて。 問題が起きた時、子どもと1対1の時間を持って、その子に問いかけながら、その子が自分の心と向き合う時間に寄り添う。 その時間の経験は、やがて自分で問題に対処していく上での方法となるのだと思う。 大人が見ても、具体的でとても役に立つやり方だと思った。
哲学と言われるとハードルが高い、難しいものに感じてしまう。 しかしケヴィン・マカリーヴィー校長の手法は「やられたらやり返すのか」「怒りを抑える方法を挙げてみよう」など至ってシンプルだ。また、日常で何かトラブルがあれば、まず先生が子どもの話を口を挟まずに聞き「なぜそうなったのか」「どう思ったのか」「どうしたいのか」対話を行う。保護者会や家庭訪問では、「子どもが親の権威に従ってしまう為、子どもが言い終わるまで親の意見を言わずに聞くことが肝心だ」と語る。 しかしこの哲学教室は「こんな授業ができたら面白い」「欧州先進国の進学校の」「過去の過ちから学んだ最新教育」という理想的な教育手法の紹介ではない。複雑で過酷な現在進行形の対立と分断の社会の中で生きなければならない、僅か4~11歳の次世代に「やられたらやり返す世代」だった校長と先生たちが託す実践的な学問の試行錯誤だ。先生たちは哲学的な教義を教えないし、答えに詰まったり非道徳的な答えを述べる生徒がいても道徳的な説明をしたりあらかじめ用意した答えを先に出したりもしない。 ここで日本の道徳の授業を思い出す。嘘をついてはいけない、約束を守るべき、と教えるのが道徳とすれば、どうして嘘をついてはいけないのか、どうして約束を守るべきなのかを考えるのが哲学だ。 気の遠くなる問いだろう。 (正直、生徒数約400人、教員数約20人のホーリークロス男子小学校の労働環境が、先生の自己犠牲と献身による美談になっていないのか、過労死ライン超えの長時間労働が問題になっている教育現場の国から見ると疑問は残った。) しかし自分の頭で考え、分析し、問い直すこの試行錯誤の実践こそ、対面の交流が制限され、誰かが与えてくれる強い言葉に寄り掛かってしまう、期待された「正しい答え」に早く辿り着くことが満点への近道だと、自身の意見を「ただの感想ですよね?(※滅ぼしたい日本語アワード)」などと嘲笑され価値がないと思い込まされる我々現代人の、特に若者に必要な生きる力なのだと思う。 ケヴィン校長は繰り返す。 「どんな答えにも価値がある」 「Think,Think,Respond!(考えて考えて、答える!)」 《余談》 ①冒頭で2001年に通学路でロイヤリストからの脅迫に遭っていた姉妹校「ホーリークロス女子小学校」では哲学教育は実施されていないのか疑問が残った。哲学は実践的な学問で、高尚で壮大で西洋の男子にだけ触れられるものでも必要なものでもない。作中の歴史的に有名な哲学者が男性のみであろうとも、きっと杞憂な筈だ。きっと。 ②感情に任せて拳で解決しようとしていた過去を自戒するケヴィン校長を見て、『金色のガッシュ‼︎(雷句誠,講談社)』のフォルゴレを思い出した。 《パンフレット》 ①北アイルランドの成り立ちと1998年の和平合意まで30年を要してなお続く宗派・民族対立の歴史(P.24,25)、 紛争の歴史を経験してきたケヴィン校長や監督の経験と思い(P.4~17)、 4歳(になる年の9月)から小学校に入学し卒業する11歳で進学校に行けるか決まるテストを受ける制度(GCSE :General Certificate of Secondary Education)など、情報量が多い。購入推奨。 むしろ先に読んでおくとベルファストの歴史や現状がわかっている分、授業や日常の哲学的実践に集中して観賞できるかと。 ②観賞後に改めてカトリックとプロテスタントの成り立ち、考え方の違い、ウェールズ及びスコットランドの成り立ちも調べてみて、「キリスト教」「イギリス」「イギリス人」と一括りにしていた自身のイメージの解像度の粗さに唖然としてしまった。 (字幕翻訳:吉田ひなこ)
私が小学生時代にこんな授業を受けたかったです。 校長先生はいつもスーツ姿、哲学の授業も 生徒に対等に 生徒一人一人を尊重して 問いかけていく姿。 すぐに答えを求めず 生徒に考えさせる、、 観ながら 私もその都度考え 内観 哲学していました。 日本で言えば 道徳の時間がそれに当たるのかもしれませんが この学校では 日頃起こった事 ケンカや ちょっとしたイザコザを 哲学で考えて いくというもの。 全編を通して 校長先生や他の先生方の 愛があふれていて 胸がいっぱいになりました。