人間性の喪失
starstarstarstarstar - 2年前
※本文にネタバレがあります ネタバレを読む
暗い、暗澹たる気持ちになる
そんな自分がいると同時に刺激を求める自分もいた。
どこまでが事実かはわからないが、実際にルドルフ・ヘスはいて、りんごの少女もいたと言うのだから驚く。
多くの時間が家庭のシーンのみで、子どもたちが遊ぶ姿や花を愛でたり、井戸端会議をしたり、ごくごく一般的な、と言うよりとても幸福な家庭が映し出される。
そんな映像とは似つかわしくない、怒号や悲鳴、銃声が常に聞こえてくる。高い塀の向こうでは虐殺が起きている。
そんなこと誰も知らないかのように子どもたちはピクニックをして、プールに入って、人形にライフルを持たせ、庭を走り回る。どこかで拾った歯をコレクションしたり、弟を部屋に閉じ込めたり、外の看守と囚人のいざこざを呑気に眺める。無邪気に当たり前の日常として受け入れている。
ルドルフの妻もガーデニングに関心を向け、毛皮のコートを手にして、イタリアのスパを夫にねだる。幼い頃から思い描いた裕福な生活を満喫し、それを手放すまいと夫にも強気にでる。家政婦にも贅沢させているのに!と強く叱り、赤子が泣いていてもぐっすり寝てるが子育てをしてると自負する。
夫の昇進や転勤は別にどっちでもいいが、自分の今の生活を手放すわけにはいかない。今の家に居られるよう夫が交渉すると言うや否や涙を流し夫にいつでも会いたいと言う。しかし、いざ夫が帰ってくるとわかっても電話を切り早く寝ようとする。あまりにグロテスクすぎる。
夫のルドルフは当然何をしてるか誰よりもわかっているが、考えていることはいかに効率的に処理するかであって、淡々とした仕事ぶりである。自身の名前がついた作戦や毒ガスでの処刑方法をナイスアイデアかのように嬉しそうに妻に話す。子どもはもちろん、馬や犬に対しても愛を持って大切にしているのに、壁の向こうにいる人々は焼却すべき荷物であり、労働力でしかない。こんなにも歪んでしまうものなのか。
唯一、家にきた妻の母は観客と同じ視点だった。
綺麗な部屋と広い庭と幸せな家庭に安堵して娘の幸せを喜んだし、ユダヤ人からカーテンを奪えないことに落胆していたのも当時のドイツ人を想像できた。だが、夜中に眠れぬ程の音と光に頭をもたげる。次の日には書き置きを残して家を去る。何が書いてあったかはわからないが、おそらく娘を罵り軽蔑するような内容だったとわかる。あの一家があまりに倫理観を失い、人ではなくなっていると気づいたようだった。
ユダヤ人の歯磨き粉から出てきたダイヤを自慢したり
接収したであろう衣類を家政婦たちに配ったり
灰を撒いて土を耕したり(これは違うかもだけど)
さも当然のことのように虐殺の上に成り立っている生活を謳歌する姿は見るも耐えない。
どうやったら効率的に処理できるかを考えて
煙突からあがる煙や炎にもすっかり慣れて
ハンガリーから移送されることを大仕事と捉えて
清掃業者みたいな立ち振る舞いに感覚がおかしくなる。
現在のアウシュビッツで清掃をする人々が流れてきてルドルフも吐き気をもよおす。人間性のかけらがあったのだろうか。
見ていた自分自身、最初こそ背景に流れる音に収容所の影を見て、悲劇的な痛ましい気持ちになりつつも、特に事件が起きるわけでもない映像展開に刺激を求めて音など気にならなくなっていく。画面が真っ赤になったあと、日常が戻ってきて、なぜか安心し、さっきのはなんだったんだろう、まあいいかと気にも留めなかったことに後から気づきゾッとした。
虐殺が直接的に見えない我々観客も何気ない日常の中から悲劇を見出すことは難しい。むしろ悲劇であれ喜劇であれ興奮することを望んでいる。恐ろしくなる。
途中にリンゴを埋める少女が映し出されるが、彼女はユダヤ人労働者にこっそりとリンゴを渡すために危険を顧みず夜中に出かけていた実在した人だと後から知った。
あの映像やおとぎ話が何を意味するかは正直わからなかったが、サーモグラフィーで熱のある人やリンゴが救いであると解釈もできる。固定カメラで撮られ、顔のアップが一切ないルドルフ一家に人間性は見られないが、リンゴの少女だけは熱が通っていたのではないかと。関心のある人だったと。
映画としてはあまり変わり映えのしない淡々とした展開に退屈にすらなるが、それこそ作品の意図であろうし、人間どこまでいっても感知しないところに関心は宿らない。
エンドロールの音楽が流れて、ふと我に帰る。
夢を見てたような、辛い現実が襲いかかってくるような
自分もまだ幸せな生活の中にいたいとさえ思えた。
残酷な映画だった。
☆4.0
starstarstarstarstar - 2年前
視覚情報と聴覚情報の不一致による違和感と不快感が終始凄まじかった。
音が深い、というか不快。(褒めてる)
これはテレビやスピーカーの音響ではわからないと思うのでぜひ劇場で。
なお、当然観客は音と映像しか体感できないのだが、スクリーンの中… 続きを読む
視覚情報と聴覚情報の不一致による違和感と不快感が終始凄まじかった。
音が深い、というか不快。(褒めてる)
これはテレビやスピーカーの音響ではわからないと思うのでぜひ劇場で。
なお、当然観客は音と映像しか体感できないのだが、スクリーンの中の登場人物たちはこれに加えて匂いや煙、空気を伝う熱や振動まで一日中感じているのだろうと思うと、美しい「楽園」が更に異常な空間に見えてくる。
しかし音によるストレスは最後まで続く。むしろ終盤にこそピークがやってくる。
それまで一家を外から観察していた観客に、スクリーンの中の世界とその先にある現実世界をリンクさせ、「で、あんたたちは?」と揺さぶってくるラストシーン
…からのエンドロール。盛大にも静かにも終わらない怨嗟のような音が本当に最悪。(最高)
一回観ただけでは気づけない台詞や小道具、演出が多く、パンフレットの情報や史実、アカデミー賞受賞後の監督のスピーチなどをインプットして再鑑賞すると更に深くて不快な「無関心の恐怖」が味わえる一作。
《余談》※ここから超ネタバレ
① りんごの少女
夜、暗視カメラに監視されるかのように作業現場の各所にりんごを忍ばせ、飢えた収容者たちを救おうとしている少女。彼女は実在するアレクサンドラ・ビストロン・コロジエイジチェックというポーランド人女性がモデルになっている。
危険を冒して他人の命を救おうとする少女と、不貞を働いた直後の男が読み聞かせる『ヘンゼルとグレーテル』が、「食べ物の道しるべ」を軸にして人間の善悪を対比しているようで秀逸だった。
なお、彼女が作業現場で拾った楽譜をピアノで弾く際に示される歌詞は、実際にアウシュビッツ収容所に収監されていたヨセフ・ウルフの詩。実在する人物たちの「もしもの邂逅」を描けるのがフィクションの良いところ。
② 「カナダ」?
パンフレットに寄稿をしている田野大輔教授が、X(Twitter)で『ヘスの妻たちの井戸端会議で言及された「カナダ」について調べてみるといいですよ。』と投稿していたので調べてみた。
「カナダ」とは、アウシュビッツに送られたユダヤ人の財産や荷物を保管した倉庫の通称。
つまりあの一言でユダヤ人からの略奪と横領をやむを得ず、とか悪びれなく、どころか嬉々としてやっていることが明らかになる。和気藹々と「アウトレットファミリーセール(広義)に行ったんだけど」みたいなノリと内容の対比がグロすぎる。
…今後セールとかイベントで買ったものを「戦利品」と呼ぶことが憚られそう。
③ その後のヘス一家
作中でも登場する川に流れる「灰」の思い出や、WW2末期のヘス一家の転落、イギリス軍に逮捕され処刑される前のルドルフの手紙などを娘(妹)のインゲブリギット・へス氏が語るインタビュー。
作中同様、誰かの良き夫で良き父で真面目な労働者だったルドルフの姿が語られる。
だからこそ、虐殺を肯定してしまう戦争の醜悪さや線引きをすれば倫理観など容易く機能しなくなる人間の恐ろしさを突きつけてくる。
『父はアウシュビッツ強制収容所の所長でした それでも父を愛している!独女性衝撃の告白(その1)』
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/eb58fdb3d9e9f889f238ddec1630c1dd3d22cfca
(字幕翻訳:松浦美奈)
これ、お前のことだからな
starstarstarstarstar - 2年前
改めて映画の奥深さを感じる
映画はよく“総合芸術”なんて言われたりしますが。
私はむしろ映画の“大衆娯楽”な一面を愛しているので、“芸術”なんて言われると「そんなに敷居を上げなくても…」と怖気付いてしまいますが。
でも“総合”については、… 続きを読む
改めて映画の奥深さを感じる
映画はよく“総合芸術”なんて言われたりしますが。
私はむしろ映画の“大衆娯楽”な一面を愛しているので、“芸術”なんて言われると「そんなに敷居を上げなくても…」と怖気付いてしまいますが。
でも“総合”については、本当にその通りだと感じています。
いろんな要素が合わさって一つのシーンが出来上がっている。
プロフェッショナル同士の表現の結晶のようなシーンに出会うと、言葉にできない感情が揺さぶられます。
『ようこそ映画音響の世界へ』で丁寧に説明されていますが
私たち観客は音によって奥行きや距離を感じ取っていることを改めて体感しました。
カメラのフレームの外側にも世界が広がっていると感じる。
そして、平面でしかないスクリーンの映像を立体的な空間として感じるのには、劇場によるサウンドデザインも重要。
この没入感は、映画という作品を届けようとする全ての人の技の結晶なのだなぁ。
聴覚に集中した状態から、一気に情報量が増えるファーストシーンだけでも劇場で体感してほしい!
貴重な映画体験でした。
そして、チャレンジングな映像表現に刺激を受けた方には『映画(窒息)』もおすすめ。
映画への挑戦状でありラブレターです。
サンドラ・フラーさんの品のない歩き方が素晴らしい。
どんな役どころでもリアリティを持って演じ分けられる役者さんですが、立ち姿やちょっとした仕草から、その人物がどんな人生を歩んできたのかが想像できるところがすごい。
『落下の解剖学』に続いて自分の考えを主張する強めな役どころでしたが、またコメディもみたいなぁ。
子供の頃にアウシュビッツ展に行った時の恐ろしさを思い出しました。
実際にアウシュビッツを訪れたことのある方には劣るでしょうが、再現されたガス室を通るだけでも怖くてたまりませんでした。
靴はもちろん、髪で編まれた毛布や入れ歯に石鹸。壁いっぱいに貼られた犠牲者の写真も展示されていました。
これは決して過去の物語ではない。
まさに今ジェノサイドが起きているなかで生活をおくっている私自身に「これ、お前のことだからな。」と突きつけられました。
幸福に見えるその裏には
starstarstarstarstar - 2年前
結構好きな作品です。
アウシュビッツ収容所での悲劇を直接的に画くのではなく、そのすぐ横に隣接する、恵まれた環境で暮らす収容所の所長一家の日常を淡々と画く事で、そのギャップから、より人間の非情さや倫理観、価値観などを含めた様々な負の感情を浮… 続きを読む
結構好きな作品です。
アウシュビッツ収容所での悲劇を直接的に画くのではなく、そのすぐ横に隣接する、恵まれた環境で暮らす収容所の所長一家の日常を淡々と画く事で、そのギャップから、より人間の非情さや倫理観、価値観などを含めた様々な負の感情を浮き彫りにしている様で、とても恐ろしく感じました。
遠くで幽かに聞こえて来る怒号や銃声、遠景に浮かぶ灰色の煙、男達の「仕事」に関する会話、女達の服や宝飾品に対する会話、無邪気な子供達、黙々と家事をこなす召使い達、美しく咲く花々とその土壌、最後に映るおびただしい数の靴、等々々、どれを取っても全てにその裏が有り、それを考えると凄く恐ろしく、また悲しく見えてきます。
ある思想や態勢に取り込まれると人はこうも盲目になってしまうのか?
それが良い事でも悪い事でも盲信してしまうとそこには、すぐ傍に危険性を伴うという事を痛感させられます。
現代社会にも通ずる事が多いです。
広い視野を持つ事が大事という事でしょうか。
中々に人を選ぶというか、直接的でない分、解りにくい表現が多い為、好き嫌いが分かれる作品かと思います。
また、一度観ただけでは伝わり難い所も多いと思うので、何度か見直したい作品です。
絶妙なダブル(トリプル)ミーニング
starstarstarstarstar - 2年前
独語のタイトルはInteressengebietでそのまま関心領域でもあるのですが大文字ではアウシュビッツ強制収容所周辺の区域のことでもあり「私益を生む場所」でもあり絶妙なダブル(トリプル)ミーニング
ルドルフは悪徳商売をしているブラック… 続きを読む
独語のタイトルはInteressengebietでそのまま関心領域でもあるのですが大文字ではアウシュビッツ強制収容所周辺の区域のことでもあり「私益を生む場所」でもあり絶妙なダブル(トリプル)ミーニング
ルドルフは悪徳商売をしているブラック企業の管理職(生活のために仕方なく仕事をこなしてるけどそんな自分の仕事に少し嫌気がさしている)みたいでしたし奥さんも悪気はなく鈍感で能天気なだけのように見えて不思議と憎めない感じでした
だから嫌な状況なのに自分を重ねやすく
もし自分だったら?と想像できてしまって余計に酷さ(嫌さ)が重くなります
よく「自分にコントロールのできないことを思い悩んでも仕方がないから自分のコントロール出来ることだけに集中した方がいい」いう言説を目にしますが、この映画には「それで本当にいいの?」と言われているようでした
冒頭、普通よりもワイドな音像と背後から聴こえる不吉な音で「音に気を配ってね」と言われているような気がして期待が高まりそれに続く真っ暗な音だけのシーンでさらにワクワクしたのですが主役家族の映像が始まってからの不穏な音は画面の奥から聴こえてきて特殊な音の配置はありませんでした
HTC渋谷はodessaという音響システムがあって池袋グラシネのBESTIAとどちらにしようか少し悩んだのですが料金と行きやすさと上映時刻とでこちらにしました
確かに音はとても重要な要素ですが、繊細な/轟音の音表現はないので多分どんな映画館でも同じように楽しめるんじゃないかと思います
ところで「関心領域」の主な舞台となっている1943年はオッペンハイマーがロスアラモス国立研究所の初代所長に任命された年で、彼はドイツからのユダヤ系移民の子でした
同じ年にアカデミー賞で、というの、因縁めいたものを感じますね
どちらも確証バイアスに関わっていて、本当にカエサルの時代から「人は見たいものしか見ない」んですよね
ルドルフは仕事だからこの場所のヤバさも見てでも仕方のないこととしているのに対してヘドウィグは見ていないし聞いていないからヤバいどころか理想の土地としか思えなくて
ヘドウィグ役ザンドラ・ヒューラーさんは落下の解剖学でも素晴らしかったけれど本作でも「歴史的・世界的な特異点」で“何気ない普通の日常”を見事に演じていました
『落下の解剖学』の犬がアカデミー賞に参加し話題でしたが本作の黒いラブラドールはザンドラさんの実際の飼い犬なんですって!
赤ちゃんの無垢さ、子供達の無邪気さも印象的でした
大人たちとの間に思春期の男の子を登場させて(この男の子は「普通」に恋愛をしていたりするんです)このヘドウィグの無邪気さとの境界線が曖昧になって呑気に映画を観ている自分の無邪気さに繋がったり
あとコレは町山智浩さんの解説で気付かされたのですが「洗う」シーンの強調も普段ぼくたちが見ないようにしている様々な「穢れ」に繋がって嫌な感じでした
子供達と川遊びをしている時にルドルフがあるものを見つけて急いで帰り身体を洗うシーン、ルドルフがちんこを洗うシーン、毛皮を「クリーニングしておいて」と指示するシーン、現代の(博物館になっている)施設を清掃するシーン…
洗う(クレンジング)ことが民族浄化ethnic cleansingを連想させてジワジワと怖さが重なります
余談ですがメリル・ストリープ主演の映画「ソフィーの選択」でソフィーがヘス所長の秘書をしていた(丁度所長が代わる直前)頃を回想するシーンで
アウシュビッツ収容所から扉一つでヘス家の綺麗な庭があったりヘスの娘とソフィーがやりとりしたりするのが描かれています
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