☆3.6
一見すると淡々とした日常を描いた静かな作品だ。 コロナ禍の只中、30代の一人の女性が40歳を迎えるまでの日々を追う——仕事に行き、SNSに思いを綴り、身体を鍛え、友人と語らい、家族との軋轢と向き合う。 多くの人が劇的な展開はない彼女に関心… 続きを読む
一見すると淡々とした日常を描いた静かな作品だ。 コロナ禍の只中、30代の一人の女性が40歳を迎えるまでの日々を追う——仕事に行き、SNSに思いを綴り、身体を鍛え、友人と語らい、家族との軋轢と向き合う。 多くの人が劇的な展開はない彼女に関心を持つのは、彼女が“麻原彰晃の三女”として生まれたという「前提」があるからだ。 彼女自身の意思とは無関係に貼り付けられたそのレッテルは、日常のあらゆる場面に影を落とし、行く先々で強固な壁となって立ちはだかる。 劇的な展開はない。だが、観終わった後、確かなわだかまりと問いが残る。 一体、誰が彼女の人生を「特別」なものに仕立て上げたのか。 彼女が何をしたというのか。 なぜ、「生まれたこと」それ自体が、罪のように扱われねばならないのか。 社会が、メディアが、自分たち自身が、その構造の一部になってはいないか。 この国では家族を「ひとかたまり」として見做しているのではないか。 「でもやっぱり怖い」と思うのはなぜか。 逸脱した人と、その周囲を連帯責任で排除し続ける社会は怖くないのか。 (一方で、自分の倫理観や正義感に照らし合わせると、「極悪人を許してはならない。厳罰に処すべきであり、事の重大性と被害者を思えば擁護したり情を持ったりするのはおかしい」という気持ちがある。 彼女は他の家族以上に「麻原彰晃に対する批判」より「父親に対する情」発言が多い分、彼女に対して違和感を持つのかもしれない。) たびたび言葉を選び、口籠る彼女の姿から、その語られざる苦しみや声にならない願いがいっそう伝わってくるようだった。 (その分ひとつ気になったのは、中盤に挿入される子ども時代のアニメーションの演出。 おそらく理解を促す意図があったのだろうが、鑑賞者を感傷的に誘導する印象が拭えなかった。作品全体の抑制された語り口とのバランスが崩れてしまったように思う) 『それでも私は』というタイトルには、強い意志と微かな痛みが滲んでいる。 それでも私は、生きる。 それでも私は、私であり続ける。 たとえ、世界がそれを許さないとしても。