月が傾く
starstarstarstarstar - 11ヶ月前
※本文にネタバレがあります ネタバレを読む
寂寥感でいっぱいになる。
エンドロールで早々と席を立つ隣の人の横で、私の中では押し留められていた気持ちが主題歌によって滲み出てきた。
どこにでもあるような、決して派手ではない、ドラマチックでもない平場の2人の恋愛が描かれ、最後は崩れ落ちるように関係が終わりを迎える。
50代の等身大な恋愛が、可愛らしく痛々しく切実な思いで交差する。
中学3年生のとき、想いを寄せていた須藤に告白するが振られた青砥は40年近く経ったある日病院の売店で須藤と再会する。
2人はたまに連絡を取り合う互助会的な関係性になり、色々あった人生を共有し合いながら空白を埋めるように、過去を懐かしむように、新しい出会いに恥じらうように少しずつ距離を縮めていく。
生体検査で良性の腫瘍だとわかった青砥とは反対に、進行性大腸がんと診断された須藤は人工肛門となり、その翌年に転移したがんで亡くなる。
子供を置いて家を出たのに戻ってきた母親のことを学校で憐れまれ、中学生の時にはすでに1人で生きていくと決意していた須藤。好きだった青砥からの告白も断る芯の強さは大人になってからも変わらない。
お金がなくても奢られたくない、格好をつけたい青砥にも譲らず、誕生日のプレゼントもねだらない。1人で生きていくことに意固地になっていたはずが、青砥の優しさに傾いてしまった。これまでも酒乱の男を略奪したり、年下の男に貢いでしまったり、誰かに寄りかかってしまった自分のことを軽蔑してきた。だから青砥も同じだと、また自分のことを軽蔑してしまうと、そう言い聞かせたかった。
検診で再発したがんのことは青砥に言わず、Vサインの形だけを残して別れを決める須藤に食い下がる青砥もまた頑固だった。熱海旅行のために一年間会いにも行かず待ち続けた。気づいた時には須藤はもう部屋にいない。
歳を重ね、子供は自立し、仕事は同じことの繰り返し、新しいことをやる気力もなく、過去を懐かしむ毎日。
青砥と須藤もそうだったのかもしれない。傷ついて失ってきた日々を癒すように過去をやり直そうとしたのかもしれない。でも太すぎた2人の糸は結ばれることなく解けてしまう。誰よりも固く結ばれることもできたのに。
居酒屋の焼き鳥も、家で飲むお酒も、自転車の2人乗りも、三日月のネックレスも、名字で呼び合う2人も、照れ臭く慎ましい姿がリアルで確かな存在を映していた。茫然自失の状態から、隣にいない喪失を目の当たりにして泣き崩れる青砥の姿は苦しかった。
青砥はちょうどよかった。ちょうどいい人と一緒にいれるなんて、夢みたいなことだったんだ。
青砥、行けーっ
starstarstarstarstar - 11ヶ月前
青砥は青戸では無い、イメージは京成本線の青砥駅。荒川の支流の中川の近く。葛飾区内でも外れの方。高卒で(格安の)ユニクロのポロシャツを普段着にも仕事着にもしてると言う。地上波テレビ局では会社からカットされそうなセリフである。しかし新座市辺りの… 続きを読む
青砥は青戸では無い、イメージは京成本線の青砥駅。荒川の支流の中川の近く。葛飾区内でも外れの方。高卒で(格安の)ユニクロのポロシャツを普段着にも仕事着にもしてると言う。地上波テレビ局では会社からカットされそうなセリフである。しかし新座市辺りの物語なら、立教大学を「東京の方」と認識するだろうか、、
認知症にも、大腸癌も、ストーマにも、抗がん剤も、手術後の転移にも、これだけ詳しく、丁寧に描くのは珍しい。コレらの大変な看護や病気に対してアバウトな数々の映画が嫉妬するぐらいだ。(どの映画とも言わないが)
実は塩野三省の、病気入院の顛末記も読んでいる。
映画の中味については、これから見る人の楽しみの為に書かない。
この映画が、日本中のたくさんの青砥と須藤を
元気づけて、励ましとなることを、祈る。
50代、感傷に浸る
starstarstarstarstar - 11ヶ月前
ただ今観終わりました。
自身、堺雅人さんと同い年、この映画に登場するキャストさん達と同じような状況にある者です。
配偶者との別れ、親の介護に死別、子供の成長(大学生)、仕事がただのルーティン化、その他諸々手にとるように伝わります。
社会で生… 続きを読む
ただ今観終わりました。
自身、堺雅人さんと同い年、この映画に登場するキャストさん達と同じような状況にある者です。
配偶者との別れ、親の介護に死別、子供の成長(大学生)、仕事がただのルーティン化、その他諸々手にとるように伝わります。
社会で生きている人々の代弁を担ってくれた映画だと感じます。そんなもんですよね。。。
堺さんの演技には惹き込まれますし、井川さんも自然な演技でお互いの良さを引き出しています。
ところで、タイトルの「平場の月」、解釈の仕方が難しいですね。「平場」を単に”普通の”や”オープンな場”や”何気ないその場”と解釈していいのか、それとも裏に深い意味があるのか、聞いてみたいですね。
時の流れの残酷さ
starstarstarstarstar - 11ヶ月前
でも、感じるのは絶望じゃない。
何気ない日常の景色が美しくて、切ないけれど、こういうのが生きるということなんだと思った。
主人公お二人の演技もとても良かった。
平場の月並み人生。
starstarstarstarstar - 11ヶ月前
生活感満載。
庶民の日常生活を優しく作り上げて没入感が半端ない。それゆえに「映画の中の日常」のボーダーラインがあいまいになり自分の日常が映画の中に入ったような錯覚を覚える。自分の日常が狂おしいほどに愛おしく思えてきた。
あわせて、自分の今ま… 続きを読む
生活感満載。
庶民の日常生活を優しく作り上げて没入感が半端ない。それゆえに「映画の中の日常」のボーダーラインがあいまいになり自分の日常が映画の中に入ったような錯覚を覚える。自分の日常が狂おしいほどに愛おしく思えてきた。
あわせて、自分の今までの生活が肯定されたような気にもなった。須藤も青砥も自分が許せないこととは裏腹に。そして彼らのことを考えると申し訳ない気持ちになる。
日常を描く、ひとつの完成された映画の形のような気がした。
人の呼び方はその人の考え方が出ると思う。
君、お前、自分、いつまで経っても苗字の呼び捨てや苗字に「さん」付けの人、すぐに下の名前で呼ぶヤツ(私はこのテのタイプの人はちょっと苦手です笑)、全員にちゃん付けの人、人によって使い分けてる人、できるだけ名前を呼びたくない人等々。
そこには一般に親密度や距離感が表されており、一方にはポリシーにまつわる統一性があり、これは本当にリアルです。
過去を振り返るとおそらく須藤姉妹はとてつもなく苦しい年少期を送ってきたと思う。それゆえに絆は深い。そして須藤の性格からすると、姉という立場で妹を守ってきたと同時に姉らしく威厳のある関わり方をしてきたと推測される。なので、妹は名前の呼び捨てで呼んで至極当然。ところが50過ぎてもみっちゃん。ここにこの人の本質があるように思えました。
劇中でファンタジーという言葉が飛び出してきたが、ファンタジーな病気描写はなく常に生々しくリアル。かつて人工肛門をつけた人のラブシーンがあっただろうか。
ファンタジーな表現ではなく実際に胸がいたい。心がいたみました。
平場から見る月。
日常生活の窓から月を見上げて夢見たいなことを考える。そこにあるのは、遠く離れた手の届かないものではある。しかし、日常のありふれて平凡なことを「月並み」と言います。答えはもうここにあった。