ピンクオペーク
ミスター憂鬱 後半わけわからん
国内最大級映画チケット予約サービス アプリで開く
毎週土曜日22時半。 謎めいた深夜のテレビ番組「ピンク・オペーク」は生きづらい現実世界を忘れさせてくれる唯一の居場所だった。ティーンエイジャーのオーウェンとマディはこの番組に夢中になり、次第に番組の登場人物と自分たちを重ねるようになっていく。しかしある日マディは去り、オーウェンは一人残される。自分はいったい何者なのか?知りたい気持ちとそれを知ることの怖さとのはざまで、身動きができないまま、時間だけが過ぎていく。
©︎ 2023 PINK OPAQUE RIGHTS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
ミスター憂鬱 後半わけわからん
オーウェンもマディもいわゆる健全な成長を阻害されていますが、彼女らの親は上辺だけで何も手を加えません。 親のネグレクトの結果で彼女らは心の穴にテレビを押し込む。 オーウェンも、マディも必死に心の穴に収めたテレビを信じて生きてみるけどうまくいかずマディは乖離的遁走を引き起こしており、オーウェンも空想が現実を飛び越え始め精神障害を負っています。 しかしそれでもなおオーウェンにとってのタラ、マディにとってのイザベルは現れず、結局マディは遁走を繰り返し続け、オーウェンも精神を病んだまま。 求められず生きると、求められる誰かになりたがります。他にはない誰かのただ一つに。
劇中で「このままここにいたら死ぬ」という言葉が飛び交う。変化を求めている。 いや、危機感を感じているのだろうか。 おそらく(マディは断言してましたが)トランスジェンダーがこの映画の大きなテーマのひとつだと思われるが、オーウェンはどっちだ?明確にはされてなかったと思う(見逃したかもしれない)。あいまいなところがそれも含めて自分探しなのか。いわゆるこの映画は依るべきもののない自分探しムービーである。 いや違った、テレビドラマ「ピンクオペーク」が依るべきものである。が、その中の主人公にオーウェンは憧れているわけでもなさそう。これはむしろマディの方はなりたがっていた。この辺のズレが面白い。ジェンダーがはっきりと明確になってる者とあいまいな者との対比になってるのか。 思考がごちゃごちゃしてきましたが、まあそれを狙ったような作りにも感じる。桃色のデヴィッドリンチみたいな感じ。 西加奈子の小説「夜が明ける」の作中に出てくる俳優アキマケライナンに焦がれるというか同一化しようとしたというか同一のつもりであったアキと同じ理屈です。この登場人物たちは。 自分の信じたものに命を預ける、全てを捧げる。どうしようもない自分を救ってもらった借りを命をかけて返すというか。なんか全部抽象的ですみません。 ミスター憂鬱がよかったね。 ビジュアルは明らかに「月世界旅行」のそれであり、映画というコンテンツの始まりであり、異世界の出来事の象徴のようであり、大きな物体で消し去れないものであり、一生背負い続けるていくものであり、こんなもんなんぼでも言えます。観た時の感情次第ですね。 メタファーであるものメタファーみたいなもんですこの悪人。悪人ヅラしてるし。 そしてそんな結果という笑。ドラマの。 だらだら書いてしまいましたが、そんな語りたくなるような余白の多い作品でした。 この映画、好きです。
サントラはえらくカッコいいし素晴らしいけどね
全く理解できず 以上。