女ホーボー
女であること、その事実を内省化して、自分の枠を無意識に作っていることって多い。 主人公モナはそんな枠を全く知らない。モナが浮浪者になった経緯などは全く語られないし、そもそも彼女がどんな女性なのかも映画の中で語られることはない。彼女は選択肢… 続きを読む
女であること、その事実を内省化して、自分の枠を無意識に作っていることって多い。 主人公モナはそんな枠を全く知らない。モナが浮浪者になった経緯などは全く語られないし、そもそも彼女がどんな女性なのかも映画の中で語られることはない。彼女は選択肢がなくて放浪していながらも、そのことを存分に「味わう」。「楽しむ」というのともちょっと違う。「味わっている」のだ。一人でいることを「味わう」。なぜ放浪するかと尋ねられて「家で飲むシャンパンは不味いから」という彼女の言葉は象徴的だ。 そんな彼女は、その場その場でしか人と接点を持たない。ケルアックの『路上』みたいに、in to the wild のように、お試し定住をしてみたりするのだが、やっぱりダメなのだ。誰かの指示に従って生きることがモナには耐えられない。 周囲の人たちにとってそんなモナは気になる存在だ。(映画を見る者は、周囲の人の眼差しからモナの印象を形成する。) しかし、親戚も古い付き合いもない彼女にとって、出会う人々に親切にされようが、不親切にされようが、暴力を振るわれようが、動じることはない。彼女は、女性だから暴力を振るわれるという事実を「気にしていない」のだ。これは私にとっては驚くべきことで、その驚きこそが、自分が女であることを内省化しているのだと気付かされる。 文学や映画では、女浮浪者はあまり描かれない。ロマン主義的な男の放浪を描く作品よりも、私はこの作品で描かれる女の放浪が大好きだ。