ギャングのコント化、コントのアート化、それらの映画的時間化
廣瀬純がゴダールやアントニオーニについて言うみたいに、退屈な時間が存在を肯定するということに繋がる。緩慢な長回しが存在を肯定し、人物は生を生き、隣合わせの死に直面し、生き直す。暴力が暴力のままで怖ろしく面白い。それらが快適な論理で繋がれて、… 続きを読む
廣瀬純がゴダールやアントニオーニについて言うみたいに、退屈な時間が存在を肯定するということに繋がる。緩慢な長回しが存在を肯定し、人物は生を生き、隣合わせの死に直面し、生き直す。暴力が暴力のままで怖ろしく面白い。それらが快適な論理で繋がれて、画面の内外に意味が生まれる。だから最後の「…なんてね。」にクスッとして不安にもなった。思えば瞬間ごとに未来が内包されてて、最初から全て分かっていた気がしてくる。こういうスタイルで、野球とかカラオケとか花摘みとかのフォトジェニックを余裕な顔して入れてくるのがゴダールくらい凄いと思う。