元警察官のMax(Tom Hardy)は、過去に救えなかった人達の幻影から責め苛まれながら終末世界を流離う。暴徒の襲撃を受け「砦(シタデル)」へと連行されたMaxだったが、砦では大隊長Furiosa(Charlize Theron)が領主の妻たちと脱走することを画策していた。
◆ My name is Max. That's my name.
世界的に大ヒットしたGeorge Miller監督が手がける大人気バイオレンスアクションシリーズの27年ぶりの続編。主人公のMaxを演じるのはMel GibsonからTom Hardyへとバトンタッチ。
主人公のMaxは、記念すべき第一作目の『マッドマックス』において《スピード狂と復讐の鬼》という精神的な危うさを孕んだ警察官として描かれていました。続く第二作目の『マッドマックス2』からポストアポカリプティックな終末世界へと一変。荒野を流離う一匹狼としての主人公が誕生しました。二作目からガラリと毛色が変わったシリーズですが、今作も核戦争後の終末世界が舞台となっています。
過酷な環境下にあって正義感を保持しているMax(過去作品でもヒャッハーな輩達から被虐者たちを救う英雄然として描かれてきました)が、救えなかった人達の幻影から責められながら狂気に堕ちている様が冒頭から提示されていました。今作の主人公が内包する狂気が如何様なものであるかが明かされています。
◆ Witness me!!
過去作品においてもヴィランは過激で、暴力的で、個性的な尖ったキャラクターばかりでした。今作のImmortan Joeはシリーズの集大成ともいえるようなインパクト抜群のキャラクター。馬骨を用いた特徴的なマスクに、腐って崩れかけた身体をメッキのように覆う筋肉をモチーフにした鎧。そこには今となっては何の意味もなさない勲章が、かつての武勲を誇示するかのようにがぶら下げられています。シリーズの一作目(マッドマックス)でヒールを演じたHugh Keays-Byrneが本キャラクターを演じているというキャスティングも絶妙です。
病に犯された青年たちで組織された砦の私設軍隊ウォー・ボーイズが恐るべき軍事力となっていました。両指を交差させる祈りのポーズでV8エンジンを信仰し、Immortan Joeを神であるかのように崇め、彼のためなら喜んで命を投げ出すカルト集団。
ヴァルハラ(英雄の館)に招き入れられるために銀スプレーを口に吹きかけ、嬉々として特攻を仕掛ける狂気の軍勢に加えて、枯れ果てた世界で地の利を得ている(水源を確保している)優位性。農作物を実らせる農耕技術。学問・芸術の維持。ガスタウン、弾薬畑(バレットファーム)と協力関係を築く外交手腕。子産み女(ワイブス)を囲う鬼畜性。Immortan Joeは、どこを取っても悪のカリスマとして非の打ち所がありません。
◆ You know hope is a mistake.
今作は「行って帰って来るだけ」という非常にシンプルなストーリーではあるものの、過酷な環境下で展開される重厚な人間ドラマと息を飲む激しいアクション。強烈な世界観が高く評価されています。
逃げ出した妻たち、後を追う悪逆非道の夫、そこに巻き込まれた主人公という痴話喧嘩に巻き込まれたようなストーリーながら、極限状態で皆が命を懸けて描かれているそれは大変にドラマチック。爆煙と砂塵が立ち上る荒野で繰り広げられる改造自動車を駆使したカーチェイスも大いに見応えがあります。
演出も小洒落ており、「地獄の聖歌隊の指揮者」を自称する武器将軍が突撃してくるシーンでVerdi作曲の『怒りの日(レクイエムより)』を流すシーンは忘れられません。
ついに「緑の地」へと帰りついたFuriosaは、変わり果てた故郷の姿を目の当たりにして膝から崩れ落ちてしまいます。前日譚である『Furiosa: A Mad Max Saga』を鑑賞した後であれば、彼女の絶望がより強く感じられるシーン。
〝At least that way we might be able to together, Come across some kind of redemption.〟
心が折れたFuriosaに対して「逃避の道」ではなく「何かしらの希望が見つかるかもしれない道(領主への叛逆)」を示したMax。故郷探しの旅をしていると知った時には「希望なんて持たない方がいい。」と発言していただけに、彼女の折れた心に再び火を灯した台詞に痺れます。
砂漠で繰り広げられるほぼCGなし(マジかよ)の大迫力なアクションとカーチェイス、筋肉質な男性陣…と一見するとド派手でマッチョなアクション娯楽映画。
また、普通アクション映画は語りとアクションが分かれているのに本作はそれが同時に行われる上、登場人物はストーリーに必要な最低限のことしか話さない。視覚で物語を追うことができる一方、予備知識がないと「すげー走ってぶん殴ってまた戻って爆発した。あと乳首だけ出てる奇天烈でマッドがマックスな服装のおっさんとか火を吹くギタリストがいた。以上」という感想になりやすいので注意。(初見の自分である)
(2回鑑賞・監督のインタビュー閲覧後)
独裁者の若い妻たちは自らの意思で自由を求めて脱走し、強い女・闘う女であるフュリオサは彼女たちと共に自由の為に戦い、世界一かっこいいババア(※自分調べ)はバイクを走らせ銃をぶっ放し次世代に希望を託す。
かっこよくて、お飾りじゃない、若さや美貌や涙や優しさを武器にしない(武器は己の拳と銃と覚悟である)、ケア要因じゃない、サブじゃない、“可愛がられ役”じゃない、主人公と共闘するが恋に落ちない、自立した女が躍動するゴリゴリのフェミニズムとシスターフッドに痺れる。
We are not things!
Here we go girls!
「○○の娘」と言うとき、父ではなく母の名で名乗る。憧れる。誰かの目の保養になるキラキラしたレディじゃなく、ああいう焼き尽くすようなギラギラしたババアになりたい。