原作通りで。
原作では各メインとなる人の話が短編で語られているが、映画ではうまい具合に重なり合うように作られていて、とても良かった。この映画は幼い子供を持つ親だけでなく、教師として行き詰まっている人、いろんの人にみてもらいたい。現代社会の象徴とも呼べる作品だと思う。
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幼児虐待や学級崩壊といった問題を通して愛について描いた中脇初枝の小説を基に、『そこのみにて光輝く』などの呉美保監督が映画化したヒューマンドラマ。学級崩壊をさせてしまう新米教師、児童虐待や虐待の連鎖、ネグレクト、いじめに苦しむ人々、家族を失い一人で暮らす老人といった老若男女が、現実と葛藤しながらも生きていく姿を映す。出演は、『軽蔑』などの高良健吾や『そして父になる』などの尾野真千子をはじめ、池脇千鶴、高橋和也ら実力派が脇を固める。
(C) 2015「きみはいい子」製作委員会
原作では各メインとなる人の話が短編で語られているが、映画ではうまい具合に重なり合うように作られていて、とても良かった。この映画は幼い子供を持つ親だけでなく、教師として行き詰まっている人、いろんの人にみてもらいたい。現代社会の象徴とも呼べる作品だと思う。
人と人は、言葉だけでは、つながらない。人間が持つ、無償の愛、まごころからしか、人は、動かない。純真無垢というが、それが一番愛おしいのだ。その心にふれた時、愛を感じ、人に優しくしたくなるのだ。
不幸の連鎖。そしてそれを断ち切る無償の愛。そこから受け継がれる愛のバトン。 子供が大人を全身で抱きしめて「頑張って」とささやくシーンがとても良かったです。自分自身を愛し、他人を愛する。みんなと違うように見える人をありのまま受け入れれたら、どうしようもない人間の人間臭さを許すことが出来たら、もう少し勇気をだしてもう一歩踏み込むことが出来たらと、自分の人生と色々重ねて観てしまいました。 個人的には、最後はもう少し強烈な、画面が光でいっぱいになるマジックアワーとかだったら、と思いました。でもそうすると近藤龍人さんとかぶりすぎかな(笑)
最初は正直観るのが辛かった。自分も子育てをしていた中で、雅美の気持ちに僅かに反応する部分があったからだ。でもきっと誰もが少なからずあるんじゃないかと思う。可愛いけれど、イライラさせられる、でも可愛い…この繰り返し。 3つのストーリーが入れ替わり展開されるが同じ町、同じ学校で3つは少しずつ繋がっている。 小学校教師の岡野(高良健吾)の担任クラスは学級崩壊寸前。クラスの神田くんがネグレクトを受けていることに気づく。 雅美(尾野真千子)は夫が単身赴任で不在の中、3歳の娘を一人で育てている。そして、家の中では娘に手をあげている。 一人暮らしのあきこ(喜多道枝)は認知症の症状が出始めている。いつも学校帰りの弘也(加部亜門)と挨拶を交わしていたが、ある日、家の鍵をなくした弘也を家に招き入れる。 岡野は若い情熱で神田くんを何とか助けようとするが、ことごとくやり方が間違っていて、見ていてイライラする。けれどそれも仕方ないとは思う。神田くんのような子は1つの小学校に数名はいるだろうと思う。そして落ち着きのない子どもも同じく。正直、こういうことは今までの人間の営みの中で、歪んで、ねじれてきた結果で、今から誰がどうしたらうまくいくとかいう簡単な問題ではなくなってきているのだと思う。モンペや教師の怠慢、昔から少しずつズレてきた結果が生み出しているもの。 親から虐待を受けた子は自分が親になった時にまた同じことを繰り返す。定説のようになっているが、そうじゃないという描き方に感心した。雅美の近所のママ友の陽子(池脇千鶴)みたいなお母さんって実際にいる。池脇千鶴がスゴイ。あのかすかにうっとおしい感じと本当のことしか言わない安心感は秀逸。この作品で一番輝いていたと思う。 自閉症で、学校でも養護学級にいる弘也のやることに対して、母親和美(富田靖子)はいつも謝り遠慮して生活してきた。気持ちはわかる。でも弘也はすごく可愛い。障害がある子は、本当に素直で可愛いと思う。嫌味も悪口も言わないのにありがとうや嬉しいということをストレートに表現してくれる。岡野のクラスの子と弘也との対比が最初はすごく隔たりがある気がししたが、最後はその距離が縮まった気がした。 やはり人間はいかに心豊かな人と出会えるかということで、人生さえも左右されると思う。岡野には甥や養護教諭の大宮、雅美には陽子、和美にはあきこ。 後半は号泣。最後は少し光が見えて沈んだ気持ちが少し浮かんだ。
「たすけて」と言えない子供 「たすけて」と言えない大人 子供の「たすけて」に気付かない大人 大人の「たすけて」に気付く子供