楽しめました!
イギリスの裁判の特殊性を知ったり、アウシュビッツを疑似体験したりできました。
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『ボディガード』のミック・ジャクソンがデボラ・E・リップシュタットの小説を実写化。1994年、アメリカのジョージア州アトランタにあるエモリー大学でユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)の講演が行われていた。彼女は自著「ホロコーストの真実」でイギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィングが訴える大量虐殺はなかったとするホロコースト否定論の主張を看過できず、真っ向から否定していた。ある日、アーヴィングはリップシュタットの講演に突如乗り込んだ挙句に、名誉毀損で提訴という行動に出る。異例の法廷対決を行うことになり、訴えられた側に立証責任がある英国の司法制度で戦う中でリップシュタットはホロコースト否定論を崩す必要があった。彼女のために、英国人による大弁護団が組織され、アウシュビッツの現地調査に繰り出すなど、歴史の真実の追求が始まった......。
イギリスの裁判の特殊性を知ったり、アウシュビッツを疑似体験したりできました。
結末は決まっている、 いや、こうなるに決まっているはずだ! と思いながら臨んだ映画鑑賞。 だって、ホロコーストとかを研究してるユダヤ人女性教授と、『そんなのは無いよ!』って 否定してるヒトラー大好き男性教授との法廷対決。 子供でも知ってるはずなことを、 教授らが「ある?なし?」で言い争う、 大人のケンカ。 さて、結果はいかに? 以下、ネタバレ含むので注意。 主義や思想を主張すること、できることは、 素晴らしくて、平和なこと。 でも、自らの主義や主張を、事実を歪曲してまでも言及し、ましてや押し付けることは 言語道断。 売られたケンカを買った女性教授、 ほとんどネオナチの男性教授、 彼の信用や人間性をさらけ出そうとする 弁護側。 でも一番、客観的視点で裁判を見守る 裁判長が落ち着いてた、流石(笑)。 結論は正しい。 人間、そうは変われない。
結末がわかっている物語なんだけれど、特にサプライズもなく淡々と展開されていく。レイチェル・ワイズは「ナイロビの蜂」の頃からのいつものレイチェル・ワイズで、学者にしてはちょっとエモーショナルに過ぎる演出。どこか捉えどころのないアンドリュー・スコットの演技はよかった。テーマについても、オウベイなら切実かもしれないけれど自分には少し押し付けがましくて、返って心に響かなかった。
史実の否定なんて馬鹿げてる。でも、いざ裁判で証明するとなると難しい…! 記録なくして、記憶の証明なんてできない。何をもって“事実”とするのか。教科書、教師、歴史本?…誰を何を信じるのか、信条とは? 自分の信念に対する否定と肯定に終始揺さぶられた。
1996年の話である。今からたった22年前に「ホロコースト」の有無を問う裁判が行われていたことに驚いた。 「ホロコースト」否定論者アーヴィングを著書の中で非難したことで、逆に名誉毀損で訴えられたアメリカの歴史学者リップシュタット。訴えられた場所はイギリス! なぜあえてイギリスで訴訟を起こしたのかというと、それはイギリスの特異な裁判制度にあった。イギリスでは「訴えた方」ではなく「訴えられた」方に立証責任があると言うのだ。そしてアメリカでは当たり前の「推定無罪」はない。 気丈で喋りたがるリップシュタットは当然自分が法廷で主張する気でいたが、弁護団からそれを禁じられてしまう。アジテーターのアーヴィングの手に乗らないようにするためなのだが、アウシュビッツ・サヴァイヴァーの証言も拒否されて、リップシュタットはなかなか納得ができない。 法廷劇としては理性的な弁護団が論理的にアーヴィングを追い詰めて、気持ちよくカタルシスを感じさせてくれるが、本作のもうひとつのテーマはリップシュタットが「仲間を信じる」までに至る物語だろう。 本作は本当にキャスティングが良い。特に法廷弁護士ランプトンを演じたトム・ウィルキンソンの、内に情熱を秘めた理性が素晴らしかった。またムカつく否定論者アーヴィングを「ハリー・ポッター」シリーズでピーター・ペティグリューを演じていたティモシー・スポールが超ハマり役という感じの熱演。「シャーロック」組からもアンドリュー・スコット、マーク・ゲイティスとお馴染みの顔が多くうれしい。 「我々が生きているのは、不合理と嘘の時代で、真実に対して様々な形で暴力が振るわれる時代だ」と監督のミック・ジャクソンは語っている。 また「裁判から18年経った今、この裁判が映画化された意味は?」という問いに、原作者のデボラ・E・リップシュタットは「悲しいことですが、とても現代に通じるものになっていることです」と答えている。 周知の事実であると思われていることでも、否定論者が声を上げ、マスコミが取り上げれば、まことしやかな風潮として社会にはびこり「事実」として誤認されるようになる恐ろしさ。日本に関わることでも「南京大虐殺」や「慰安婦問題」など、同様の議論や両論併記は起きている。もちろん「ホロコースト」と同じレベルでは語れないが、いわゆる否定論者が発信した主張がSNS上にはびこるという点において同様の危惧はなされるのだ。 法廷劇としてたいへんおもしろくも見れるが、極右やフェイクニュースはびこる現代への警笛としても大きな意味を持つ、間口の広い作品だろう。 (そもそも「ホロコースト」の存在自体、第二次大戦後には把握されておらず、明るみに出たのは1961年に行われたいわゆる「アイヒマン裁判」(「アイヒマン・ショー」)の中でサヴァイヴァーが声を上げ、ゾンダーコマンドの存在(「サウルの息子」)が明らかになってから。「アンナ・ハーレント」なども含めて関連作を見ていくと理解が深まる。) (ビックリしたのが、イギリスの裁判官が未だに法廷に入る際に、モーツァルトみたいなカツラかぶって入廷すること。マジでまだこんなことやってるのか? 間近で見たら笑いそうだ(^_^))