信仰とは
牧師も完璧な宗教者ではない。キリスト教が古いものとなり、真実の世界を本当にわかっているわけではない牧師が悩み、模索する姿は、一般信者とそう変わりない。時に一般信者以下となる。地位ある聖職者は信仰よりもこの世的利害に流されることがある。宗教の洗い直しが必要な時。
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戦争で失った息子への罪悪感を背負って暮らす牧師が、自分の所属する教会が社会的な問題を抱えていることに気づき、徐々に信仰心が揺らぎはじめ、諦念と怒りで満ちていく様子を衝撃的に描いていく。聖職者でありながら内なる怒りと葛藤を抱え、やがて狂気の淵に追い込まれていく主人公トラー牧師をイーサン・ホークが演じる。トラーは、ニューヨーク州北部の小さな教会「ファースト・リフォームド」の牧師。ある日、トラーはミサに来た若い女性メアリーから、環境活動家の夫マイケルが思い悩んでいるので相談に乗ってほしいと頼まれる。仕方なく出向いたメアリーの家でマイケルと話したトラーは、彼が地球の未来に思い悩むあまり、メアリーのお腹の子を産むのに反対していることを知る。必死に説得を始めるトラーだが、心の底ではマイケルに共感し自分の説明に納得のできないもうひとりの自分がいる。一方、彼は自分の所属する教会が、環境汚染の原因を作る大企業から巨額の支援を受けていることを知る。本当の正義とは一体何なのか。トラーの信仰心は徐々に揺らぎはじめ、やがて怒りにも似た感情が彼を蝕んでいくのだった......。
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牧師も完璧な宗教者ではない。キリスト教が古いものとなり、真実の世界を本当にわかっているわけではない牧師が悩み、模索する姿は、一般信者とそう変わりない。時に一般信者以下となる。地位ある聖職者は信仰よりもこの世的利害に流されることがある。宗教の洗い直しが必要な時。
ストイックに美しい映像によってショッキングな出来事も淡々と語られ、そしてそれがじわじわと自爆という選択へ帰結していく展開。 ラストにポカーンと突き放される印象は否めないかもしれませんが、内省的で美しい映画だと感じました。 信仰の揺らぎと、贖罪。イーサン・ホークの演技がとても良かったです。
この作品について何を言えばいいかわからない。静かで深く重く暗く、観ているうちに沈んでいく。あの最後が衝撃的でした。 ひとつ言えるのはイーサン・ホークの演技はすごかった…………どうしてアカデミー賞主演男優賞にノミネートされなかったのだろうと!
社会で起きている問題について、教会が果たすべき役割とは何か 現状を何一つ変えられないどころか「悪」の一端を担っていると感じ、もがき苦しむ神父を描く イーサン・ホーク演じるトラー牧師は、かつて、戦場に息子を送り出し、その結果、息子が戦死してしまったことを悔いながら生きていた そしてさらに、信者のメアリー(アマンダ・セイフライド)から、環境問題活動家の夫について相談を受けていたにもかかわらず、彼を救えないという事件が起きる そのことをきっかけに、環境問題について興味と関心を持つようになったトラー牧師は、自身の教会に問題点があることに気付く それを知ったトラー牧師は、どう行動すべきなのかと、思い悩む その昔、教会はもっと積極的に社会問題に関わっていた この映画でも、奴隷制度から逃げ出す黒人たちを匿うために、秘密の地下室が作られていたエピソードが語られている そのことは、その教会を受け継いだトラーにとって誇りであり、奴隷制度の悲惨さを子供たちに語る教材に使っていた しかし、現在の教会はどうだろうか 化学汚染物質を垂れ流す企業から資金提供を受け、存続させている それは、社会問題に関わるどころか「悪」の片棒を担いでいるのでは…と、トラーは自分を責めるようになる そして、自身の身体を化学物質で汚染し、助けようと差し伸べる友の手を払い、キリストがそうであったように荊で自分に刑を与える しかし、それは、既に、トラーだけの問題ではなく、地域社会の政治の問題であり、トラーが自身に罪を与えたところで、その町の環境汚染が止まるわけではない 現在、公開中の映画「たちあがる女」でも、加速する環境汚染について、一人の力では止めることができず、そんな世界で生きていく子供たちを憂う姿が描かれている それならば、同じ会派の教会が集まって、社会に対して異を唱えればいいのだろうけど、系列の教会は運営費欲しさに企業に尻尾を振っていて、問題意識が低く、足並みが揃わない そうなると、後は政治が温暖化を止めるべきなのだが、現大統領は温暖化そのものを否定している 私は、この映画の結末を見て、トラー本人は神に許されたのだと思った しかし、ここでどんなに叫び声をあげても、残念ながら、大統領の耳には届かない ということは、世界は破滅に向かおうとしているということなのか そこから先は、観客一人、一人の良心に委ねられているのだ 鬼気迫るイーサン・ホークは、時折、目を背けたくなるほどの狂人ぶりだった そんな彼の狂った姿は、狂った地球を表しているのかもしれない
主人公が怒りと狂気に取りつかれていく物語の構造は、『タクシードライバー (1976年)』そっくり。 ただ、ドライバーと牧師の差はありますし、怒りの元になる事象が異なりますが。 先日観た『ある少年の告白』と同じく、キリスト教原理主義 福音派に関する告発映画に思えました。 教義(聖書)に書かれている教えより、お金や政治に関係した主張がまかり通っているのはおかしくないか?という、現代アメリカの問題点を暴く視点がありました。 反トランプ映画の一つなのかもですね。 イーサン・ホークの「真面目さと愛がゆえに、内面が壊れていく」という演技は見事でした。 1点だけ、精神的な高まりを「空中浮遊」で表現するシーンがあるのですが、どうしてもオウム真理教や、多くの新興宗教アニメを思い出しちゃうんで、ここをまじめにやればやるだけ笑ってしまいました。