国内最大級映画チケット予約サービス アプリで開く
写真の女 ポスター

写真の女

5.0 2021年初春 公開
日本
チケット予約

あらすじ

CM制作会社ピラミッドフィルム所属の串田壮史監督の初長編映画。小さな写真館にひとり暮らす“写真レタッチャー(補正加工する人)”械 は、ある夏の日、森の奥で不慮の転落で怪我をし、胸元に大きな”傷のある美しい女”キョウコと出会った。女性恐怖症の械は、馴れ馴れしく付いてくるキョウコに戸惑うも、行く当てが無く困る彼女を仕方無く一緒に住まわせる事に。械はキョウコに頼まれ、画像処理によって傷のない美しい姿を生み出した。その加工された自身の姿に魅了されるキョウコ。 しかしSNS上では、ただ美しいだけでは評価されず、皮肉にも、傷ついた醜い本当の姿をさらす事で沢山の人が興味を抱いてくれた。「理想の自分」と「現実の自分」、彼女にとっては世界のすべてであったSNSの中で、二つの自分の溝に挟まり精神的混乱に陥ってしまったキョウコは、やがて、完全に自分の存在意義を喪失する。もはや、自分だけがキョウコを救うことができると感じた械は、まるで、メスに共食いされてしまうカマキリのオスの様に、“死を覚悟して”女を愛し、彼女のすべてを写真に収め続ける事を決意した……。

キャスト・スタッフ

監督
串田壮史
キャスト
永井秀樹/大滝樹/猪股俊明/鯉沼トキ
配給
ピラミッドフィルム
公式サイト
https://womanofthephoto.com

クチコミ

写真が人に与える影響。対比と逆説の面白さ

- 5年前
私を覆っている薄い皮膚のすぐ下には、真っ赤な血がものすごいスピードで駆け巡っている。 つい忘れがちだけど、生きるって、それだけでかなり情熱的なこと。 自分だけのこだわりが詰まったルーティンで生きてきた男が、誰かを生かす為に自分を捧げる。覚悟… 続きを読む

私を覆っている薄い皮膚のすぐ下には、真っ赤な血がものすごいスピードで駆け巡っている。 つい忘れがちだけど、生きるって、それだけでかなり情熱的なこと。 自分だけのこだわりが詰まったルーティンで生きてきた男が、誰かを生かす為に自分を捧げる。覚悟のシャッター音に痺れました。 もしかして、ミューズを得た芸術家たちも、本当はカマキリのオスだったのではないかと思えてきます。 とくに葬儀屋さんのエピソードがお気に入りで、“虚像”が“リアル”に与える安らぎと切なさと恐ろしさが素晴らしい!季節が夏の設定なのも納得。 江戸っ子おじさん西村喜廣の特殊メイクも見どころです。 (したまちコメディ映画祭復活熱望) 写真を撮るという行為と、写真を見るという行為の移り変わりについて、とても丁寧に描かれていて、改めて写真は不思議で面白い媒体だと感じました。 ちょっと前までスナップ写真は、過去の瞬間を閉じ込めた遺影で、いつの日か見返す事を想定してシャッターを切っていたと思うのですが… 今や共有するのが目的で、なんならシャッターを切る瞬間から不特定多数を意識している。 SNSにアップされた写真は承認欲求を満たす為のツールへと変化し、パーソナルな思い出は情報として消費されるようになったのだなぁ。 あたり前ですが、私たちは他の媒体を通してしか、自分の姿を知ることが出来ない。 ・水に映る自分(水面や湯桶)  ⇒自己の発見:今の瞬間の自分には違いないが不鮮明 ・鏡に映る自分(カーブミラー、車の窓ガラス)  ⇒自己の確認:今の自分自身をクリアに確認できるが、自分の横顔を見ることは出来ない ・写真に映る自分  ⇒自己の客観視:他者から見える姿に一番近いが、リアルタイムではなく過去の自分である 鏡に写る自分を受け入れられる人にとって、写真は過去の遺影でしかないけれど 誰かの目を通してでないと自分を愛せない人にとっては、写真は自分そのもの。 手軽に写真を加工できる現代においては、理想の自分を作りあげることも出来る。 セルフプロデュースは加速していき、虚像にリアルが引きずられていく。 でも、それは決して病んだ負の世界とは言い切れない… この映画の面白さは、逆説の二重構造にあると思います。 全ての事柄には良い面と負の面があって、どちらのバランスに傾くか次第だし、たとえ負の面に傾いて見えたとしても、当事者にとっては幸せだったり。(←ゾクゾクする大好きなポイント) いろんな対比が描かれているので、それらを挙げていくだけでも、相当楽しめます。 以下、お気に入りのシーン (ネタバレが気になる方はご注意ください) 白線を踏んで歩く男。 白へのこだわりの強さと子供っぽさが同居した、神経質でヤバい大人なのがわかる。 口数が少なく、話せないのかと思いきや、自分の言葉を発信しないSNSから一番遠い存在として描かれるので 対する女の服の柄が強すぎて笑えます。 くるみ割り人形の話だけでわかる、女のデリカシーの無さ。 ポイントがズレていて、とてもその世界に触れていた人とは思えないww 愛されたい願望が強い割に、自分を客観視できていないところに、頼れる人が居ない原因が透けて見える。 やっぱり葬儀屋さんのシーンは、どれも素晴らしい。 写真の新しい可能性を見せてくれたと同時に、写真による記憶の改ざんの立証にもなってしまった。 空白の時間を埋めた幸せと、倍増する孤独。 晩酌のシーンはとくに見事で泣けました。 カーブミラーの先を想像させる余韻が、いまだにずっと続いていて… もしかして私も『写真の女』という映画の虚構に囚われたのかもしれません。

チケット予約
ページ上部へ戻る