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TAR/ター ポスター

TAR/ター

3.9 159分 2023/5/12 (金) 公開
ドラマ音楽Gアメリカ
チケット予約

あらすじ

ドイツの有名オーケストラで、女性としてはじめて首席指揮者に任命された指揮者リディア・ター(ケイト・ブランシェット)は、天才的能力と、たぐいまれなるプロデュース力で、自身を1つのブランドとして作り上げてきた。しかし、のしかかる重圧、過剰な自尊心、仕掛けられた陰謀により、彼女の心の闇は少しづつ広がっていくー。

場面写真

予告動画

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キャスト・スタッフ

監督
トッド・フィールド
キャスト
ケイト・ブランシェット/ノエミ・メルラン/ニーナ・ホス/ジュリアン・グローヴァ―/マーク・ストロング ほか
配給
ギャガ
公式サイト
https://gaga.ne.jp/TAR/

クチコミ

どするん ネタバレ

不協和音

- 3年前
※本文にネタバレがあります ネタバレを読む

難しい、特に前半は追いつけない 全体的に余白が多く単純には物語が繋がらない やたらと長いシーンが続くのに、登場人物も背景も上手く理解が出来ず、たぶん疲れてる時に見てたら寝てた。 話が進むにつれて徐々に輪郭が浮かび上がってくる感覚 つまるところ、権力を手にしたリディアが好き放題して周囲の信頼を失っていき没落していく話 ただそこにジェンダーとかヒエラルキーとか閉ざされた空間でのやり取りが入り込む事で複雑化している。 天才指揮者のリディアは女性でありながら男性社会のクラシック界で確固たる地位を築き、さらなる挑戦に挑む そんなリディアを支えるのが、コンサートマスターのシャロンや彼女を師事するフランチェスカの2人。 シャロンとは娘のペトラをともに育て、公私共に支え合うパートナー。フランチェスカも厳しいリディアの欲求に応える優秀なサポーター。 リディアが独走してもそれを献身的に支える寛容な2人も、オルガの登場によりリディアを許容できなくなっていく。 オルガはトイレであったリディアに見向きもせず不遜な態度である一方でチェロの技術は一級品。オーディションの際に靴音でオルガを認識したリディアは彼女をオケに招き入れる。 そうとは知らないシャロンはオルガに苦言を呈すが、オススメのメニューは無視して、ろくに音楽の勉強もしていない天才肌かつ1人の人としてオルガにリディアはどんどん惹かれていく。そして彼女のチェロを動画で見たリディアはオルガのためにオケをさらに私物化していく。 また、リディアを師事していたもう1人の教え子クリスタが自殺したことも面倒ごとを避けようとしたことで逆に事が大きくなっていく。 リディアの心情を表したように、 ジョギング中に誰かの悲鳴が聞こえてきたり 止めたはずのメトロノームが夜響き渡ったり 隣人が扉を叩いて意味不明なことを言ってきたり 冷蔵庫の僅かな音が耳障りで起きるようになったり 娘のペトラが足を何かに掴まれ夜叫びをあげたり 誰かが家の中にいるような感覚になったり 夢か現実かわからない音に悩まされていく。 ミソフォミア。 (ホラー的な要素はきっとクリスタの霊みたいな感じなんだろうけどわかんない。知らず知らずのうちにリディアもクリスタに囚われていたのかな) オルガとの出会いで歯車が大きく狂い、劇中に不快な音が響きだしこれまで燻っていた火種が各所で燃えがり始める。 ジュリアード音楽院で自身の思想に反する作曲家を嫌悪する学生を皮肉りながら責め立てる動画が切り取られ拡散される。 また、オルガを登用したことでオケに軋轢が生まれている中、さらに副指揮者セバスチャンの代わりを秘蔵っ子フランチェスカにするのは"リスク"と判断して代役を立てることにする。これによりフランチェスカは裏切りを感じるとともに堪忍袋の緒が切れリディアを追求する側へ回る。 これによりクリスタを忌避したメールが告発側の手元にいき、真相はどうであれリディアは指揮者の立場を追われてしまう。 これまで問題にされていなかったことが明るみに出始め、糾弾される様は現代社会の炎上化そのもの。 (原作は10年くらい前らしいから時代に合わせたらしいけど) オルガに心酔していくリディアをよそに当人のオルガは リディアの作曲した曲に躊躇いもなく口を挟み、 リディアの家でコーヒーやタオルを遠慮なく求め、 著者のイベントで共に渡米したにも関わらず話は聞いてないわ、誰かと悪口言ってるわ、嘘ついて遊びに行くわでリディアを利用するだけして奔放な態度をとる。 リディアはみるみるうちに周囲の信頼を失い孤立する。 再起を図ってアジアに渡り再び指揮者を務めるが、立った指揮台は観客がコスプレをしたゲーム音楽のコンサート。 冒頭のインタビューで話していた失脚した指揮者にリディア自身がなってしまう。 音を空間を司るマエストロだったリディアはヘッドホンを付けさせられオケの音さえも遮断されてしまう… ただ、雑踏の中で譜面に向き合う姿は素敵だったかな。 レズビアンであるリディアは、マイノリティであるはずだが、ある意味ミソジニーというか男性的なな思考もあり、権力に驕った振る舞いをしていく姿がなんとも悲劇的だった。 個人的にはクリスタは被害妄想でリディアを陥れただけだと思えたし、貧乏ゆすりをするジュリアードの生徒がバッハを毛嫌いするのもわからなかったし、ペンをカチカチさせるセバスチャンも老害だと思えたし、リディアに同情的に見てたけど、自業自得になっちゃうのかな。 どっちかと言うと権力関係を利用する側を批判的に描いた作品ぽいけど、リディアに寄りすぎたかな。 見る人によって感じ方が変わりそう。 てか、2時間40分あると終わってたから知った。 長いとは思ったけど、 それにしては楽しんでみれたのかも。

加害者であり被害者。そして表現者

- 3年前
『TAR』なぜこのタイトルなのか?終盤にその意味がわかります。 今、この時代に語られるべき物語です。 序盤はまるでドキュメンタリーを見ているよう。 ケイト・ブランシェットの演技がとにかく素晴らしい。 表面には出ないように取り繕いながらも、… 続きを読む

『TAR』なぜこのタイトルなのか?終盤にその意味がわかります。 今、この時代に語られるべき物語です。 序盤はまるでドキュメンタリーを見ているよう。 ケイト・ブランシェットの演技がとにかく素晴らしい。 表面には出ないように取り繕いながらも、その内面は興奮でゾクゾクしているのが手に取るようにわかり、その生々しい感覚が見ているこっちにまでダイレクトに伝わってきて、一緒にゾクゾクしました。 常に凛とした女帝のイメージをまとっている彼女が、恋する乙女みたいに骨抜きになってる演技は滑稽でもあり、かいがいしい演技は傷ましくもある。 さすがはアカデミー主演女優賞ノミネート。 今年のアカデミー賞のテーマは“ハリウッドドリーム” 平等なチャンスと正当な評価。「映画で夢を創る人の夢が叶うハリウッド!」だったと感じるので、エブエブ旋風が巻き起こるのにも納得。 でも、マイオスカーはブランシェット様に捧げたい。 どんな社会にも大なり小なり力関係があり、権力者の采配で決定することも多い。 とくに技術や数値など目に見える評価ではなく、表現力や芸術性といった主観に左右される分野では、実力の正当な評価はなかなか難しい。 ましてやプロとして対価を支払われる立場ともなれば、様々な利害関係も生じる。 そんな悪い慣習がはびこる業界に意識改革が起こっているのは誰の目にも明らかです。 アカデミー賞も、ボイコットやmeetoo運動を受けて差別/格差/ハラスメントを無くす取り組みが始まり、今年の賞に結びついたと感じています。 その一方で、急速な意識改革による“いきすぎた弾糾”が生じているとも感じます。 あたかも敗戦国の戦犯のような責められ方で全てを否定される。 実際、人の意識を変えるということは、敗戦国と同じような衝撃を受け入れることに他ならない。 昨日まで崇拝していた存在が悪になり、信じて疑わなかった価値観が覆される。 ローラーで地ならしをするように、関与の大小や影響に関係なく全てをリセット。 乱暴な荒療治だけれども改革するにはそれぐらいのことが必要で、私たちは今そのインパクトを目の当たりにしているのだ。 最新の価値観に照らし合わせて再評価していくなかで、過去の作品を擁護するのは甘さなのか? 悪しき価値観を引きずることになるのか? 一つの音から次の音へ。一つ一つの音の繋がりが音楽となり未来に続いていく。 歴史として振り返った時に、やっと答えが見えるのかもしれない。 本作の主人公は悪しき慣習のなかでサバイブしてきた。 音楽が自分を幸せにしてくれる筈が、いつしか地位や名声の為に音楽を利用して、周囲の人をも利用していた。 冷蔵庫の音にも過敏だった彼女は、街の雑踏の中に音楽を聴く。 音楽に優劣が無いように、人にも優劣はない。 全ての音楽に敬意を表するように、音楽を創る人、奏でる人、全てに敬意を表する。 そこから生まれた音楽は聴く人々の心に響き、またその聴衆にも優劣はないのだ。 圧巻のラストに心が震えました。

1回じゃもったいない

- 3年前
開始60分のところで何名か会場を出ていきました。それだけ最初はダラダラつまらないシーンが続きます。開始70分のところで入ってきた人がいました。「今から?」と不審に思いましたが、見終わったあとで理解。後半は1回に見ただけではもったいないくらい… 続きを読む

開始60分のところで何名か会場を出ていきました。それだけ最初はダラダラつまらないシーンが続きます。開始70分のところで入ってきた人がいました。「今から?」と不審に思いましたが、見終わったあとで理解。後半は1回に見ただけではもったいないくらい伏線回収だらけです。きっとこの人は後半だけ何回も見に来ているのでは?と思いました。私も、もう1回観にいきたいです。ただ、途中入場はマナー違反なのでやめて欲しいですね。つまらないからと言って途中退場もやめましょう。この映画に限ってはラストシーン前に出で行くのは大損ですよ!

芸術(家)の行方

- 3年前
何と華麗で、不気味な世界だろう…。キャリアを昇り詰め、ベルリン・フィル初の女性指揮者という要職に就いたリディアの人生の歯車が、リディアからの蜜を求める身近な周囲の人間や教え子の、やっかみ、ひがみ、ねたみ、裏切り等々によって次第に逆回転し始め… 続きを読む

何と華麗で、不気味な世界だろう…。キャリアを昇り詰め、ベルリン・フィル初の女性指揮者という要職に就いたリディアの人生の歯車が、リディアからの蜜を求める身近な周囲の人間や教え子の、やっかみ、ひがみ、ねたみ、裏切り等々によって次第に逆回転し始める。 映画冒頭から、誰のものかもわからないスマホのチャットで、彼女を取り巻く悪意のようなものが示される(たぶんフランチェスカがクリスタとやりとりしてたのだろう。スマホのやりとり画面だけで示される悪意は後にも出てくる。)次に、公開インタビューの登場待ちをするリディアが映し出される。緊張し、すこぶるナーバスな様子だ。が、一旦舞台に登場すると、にこやかに落ち着いて質問に答えるリディア。専門家ならではの話はとても興味深く、魅力的だ。 重責を担いながら、公私にわたる沢山の仕事をこなすリディア。それは並大抵の労力ではないだろう。音楽家が音楽のことだけを考えていればいいのなら天国だろうが、そんな時間は絶えず雑事に中断され、しかし本業をなおざりにするわけにはいかないのだから、日々のストレスたるや想像を絶するものだ。 ジュリアード音楽院の貧乏ゆすりをやめないバッハ嫌いの学生にリディアが言ったことは、至極真っ当なことだ。しかし後にそれが盗撮とでっち上げと悪意によって歪曲され、ネット上に流される。 情緒不安定な教え子のクリスタをどこかの楽団に推薦しなかったことが、リディアの罪だというのだろうか?情緒不安定な人間を推薦などできるわけないのは当たり前だ。クリスタが自殺したことで、何でリディアが告発されねばならないのか? 副指揮者のポストにアシスタントのフランチェスカではなく、他楽団の経験豊富な副指揮者を招聘することが、責められるべきことなのだろうか?それでなくても、更迭されるセバスチャンは、フランチェスカを抜擢するために自分は更迭されると思いこんでおり、楽団員たちもそう思っていると言っているのに。それにフランチェスカはアシスタントとしては健闘しているけれど、副指揮者という重責を担うのにふさわしいようには思えない。(クリスタからの最後のメールへの動揺ぶり、自分が副指揮者になれないことがわかった後の行動などから見ても。) 新人のオルガがソロに抜擢されたことは、責められるべきことなのだろうか?オルガのソロはオーディションで合議で決定されたことなのだ。 チェリストとしての技量はあっても、かなり無作法無礼無遠慮で身勝手なオルガ、映画の後半に再び登場する悪意のスマホ画面の主は今度はオルガだ。そんなことも知らず、オルガを可愛がるかのようなリディアは、責められるべきというより、孤独な立場にある者の悲哀を感じさせる。新入りで、若いオルガは、古参の多い楽団の慣習やしきたりや黙契のような様々な決まり事に縛られていない。他の楽団員にはないその自由溌剌さが、リディアには新鮮だっただろう。王というものが取り巻きに囲まれていても孤独で、宮廷に出入りし言葉に衣を着せない道化師を歓迎するのと同じだ。 リディアは脇が甘かったのだろうか?シャロンにオルガとの関係を難詰されたリディアは、フランチェスカが突然辞めて鞄持ちが必要なのだと答えている。確かにそういう側面があるだろう。同じ車に同乗していても、オルガはスマホばかりやっている。オルガはかなり自己中で、リディアを利用しているだけのように見える。 リディアは権力にあぐらをかいていただろうか?が、ベルリン・フィルの主席指揮者であるからには相応の権限というものがあるわけで、それを行使することでリーダーとして機能することができるのだ。注意深く観ていればわかるが、リディアは権力の濫用はしていない。権限を行使するときにはきちんと説明しているし、相応の気遣いもしながらそれなりの対応をしている。 リディアがもし女性でなかったなら、男性だったなら、この物語の後半のような歯車の逆回転は起きたのだろうか? 仮定だから確言できないが、どうもそうは思えない。ジュリアード音楽院の貧乏ゆすりをやめないバッハ嫌いの学生も、フランチェスカも、オルガも、リディアが男性の主席指揮者だったなら、もっと異なる態度だったのではないかと思われたりもする。となると、これは権力者の驕りの物語というより、(女性のなかにさえ)根深く残る女性差別や女性蔑視の物語だとも考えることができ、個人的にはそう考えるほうが腑に落ちる。リディアは指揮者としてのその技量と人格を評価され、ベルリン・フィル楽団員たちの総意で首席指揮者に選ばれたはずなのに、その基本部分での敬意というものが周りからあまり感じられず、利用できる駒のように見做されているのはどういうことなのか。 甘く見られてる、ということなのか。 アンドリスを除いて、リディアの周りにいる人間たちは、何とかリディアから甘い蜜を吸い取りたい人間ばかりである。フランチェスカ然り、クリスタ然り、シャロン然り、カプラン然り。そして思い通りに蜜を獲得できないと、フランチェスカのように、突然仕事を放り出し、あの手この手で卑劣な報復をする。(クリスタ側の告発にも、ジュリアードでの講義の恣意的に歪曲された画像の悪意にも、リディアのスコアファイルが消えた謎にも、いずれにもフランチェスカが関与しているような…。) 芸術家や芸術が、告発やSNSの悪意によって潰されていく光景を見ていると、文革時代の中国(を描いた映画)を思い出してしまうのは、わたしだけだろうか?(アンドリスは戦後ドイツの非ナチ化裁判の頃が告発頻発の時代だったと言及している。)文革は中国だけの話だったが、今の時代は世界規模で拡大した文革が始まっているかのようだ。SNSによって、地球上に吐き出される人間の悪意はものすごく増大したのではないかという気がする。SNSでなくても、クレーマーの時代。隣家の相続人から「騒音がすると売れる家も売れなくなる」などと音楽=騒音扱いされたら、音楽家は立つ瀬がない。告発されたら有罪と同じの告発、でっち上げや歪曲し放題のSNS、そして隣家のクレーマー。文革化した世界は本当に恐ろしい。 追い詰められ、職を失ったリディアは自暴自棄になったり自殺したりせず、新天地に移動し、そこで本来の仕事を再開する。そんなリディアは本当に素晴らしいと思う。 それにしても、ピアノを弾き、アコーディオンを奏で、指揮棒を振り、きれいなドイツ語を話し、栄光の極みから追い詰められ精神のバランスを崩すところまで演じきったケイト・ブランシェットに、アカデミー賞主演女優賞が授与されなかったのは、不可解だ。ハリウッドにもこの作品と同じような問題があるということか…。あるいはバッハ嫌い学生と似たようなポリティクスに、ハリウッドも汚染されているということか…。

☆4.0

- 3年前
初見はターを通してジェンダー規範に関係なく権威を持った者の振る舞いの横暴さ、地位にしがみつき続けようとする醜さを描いているように思えた。己の権威を笠に立場の弱い者たちに餌をちらつかせて都合よく性的に利用・搾取し、気に入らない者は学生でも子ど… 続きを読む

初見はターを通してジェンダー規範に関係なく権威を持った者の振る舞いの横暴さ、地位にしがみつき続けようとする醜さを描いているように思えた。己の権威を笠に立場の弱い者たちに餌をちらつかせて都合よく性的に利用・搾取し、気に入らない者は学生でも子どもでも黙らせ、独善的に物事を決め、プライドと仕事に対する情熱と功績は他の比肩を許さず、一方で家事育児には都合の良いときだけでほとんど携わらない。 やってること権力者のおっさんやないか。 そう、しかも彼女は女性でありながら女性の地位向上に対する意識は著しく低く、むしろ努力すれば男女は関係ないと女性指揮者の梯子を外すような発言をし、ショーペンハウアー(音に敏感で神経質、女中を階段から蹴落として裁判[当然賠償]になる、若い女は美しいから好きだと言いつつ、女性蔑視な主観を羅列した文を発表した哲学者)に感情移入し、オーケストラの「部下」に当たるシャロンを妻にし、シャロンに家事育児はほぼ全振りした挙句都合の悪いことは全て秘匿してきた。 やってること権力者のおっさんやないか。(2回目) しかし、彼女は最初から「そう」だったのだろうか。オーケストラの指揮やピアノの演奏をすべて自分で演じたケイト・ブランシェットの圧巻の演技力のせいで、世界最高峰の芸術家の力への欲望と転落、音楽への情熱が際立つが、物語終盤のターの生い立ちが垣間見えるシーンでそれは否定される。 他の業界の例に漏れず男性優位のクラシック界で女性初の首席指揮者になったターは、女性であると同時に性的少数者のレズビアンであり、クラシックを嗜むような富貴な家柄の生まれでもない。家の造りからアメリカの保守的な地域だと推測すると性的少数者故の困難にも遭ったはずだ。 おそらくクラシックに無関心な近親者からサポートも得られず、孤独に必死に血の滲むような努力と数々の屈辱も味わって生き残り成り上がったのだろう。そう思えば冒頭のインタビューで述べた男女は関係ないという女王蜂症候群的発言も頷ける。 あらゆる立場の人間でも権力を持てば少なからず横暴になる皮肉を描いた面は大いにあるだろう。本作では立場を利用したセクハラやパワハラは悪きこととしてきちんと否定されている。 だがそれ以上に、過剰適応の結果まるでマジョリティと同じ振る舞いをするマイノリティの姿を描くことによって、現実のマジョリティの横暴さ、ターが「そう」ならなければ生き残れなかった現代社会の闇が背後から引き摺り出される非常に巧妙な毒が仕込まれているように思う。 ターは実在しないが、「そう」しなければ生き残れない「彼女」はどれだけいるのだろう。 《余談》 ①ラストシーンを含め、製作者側にアジア人に対して子どもの性を売る、未開で劣った、云わば「堕ちた」白人の行きつく場所というイメージがあるのかと疑問が残った。 ②おそらく一部はニューヨークメトロポリタン歌劇場(MET)の首席指揮者で名誉音楽監督のジェームズ・レヴァインの事件が基になっている。(40年間METトップに君臨していたが、2017年に1人の男性からセクハラを告発された) (字幕翻訳:石田泰子)

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