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ドイツの有名オーケストラで、女性としてはじめて首席指揮者に任命された指揮者リディア・ター(ケイト・ブランシェット)は、天才的能力と、たぐいまれなるプロデュース力で、自身を1つのブランドとして作り上げてきた。しかし、のしかかる重圧、過剰な自尊心、仕掛けられた陰謀により、彼女の心の闇は少しづつ広がっていくー。
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字幕のせいか随分高圧的な口調で人と接しているな。多才であっても人との付き合い方に問題があった主人公。エゴで冷淡、仲間が自分から人が離れていくその孤独感に天才も凡才もない。悲運は身から出たサビと言うべきか。 NYを出されベルリンに戻った際、昔の恩師の指揮者のビデオをみて初心に返り、改心したシーンに救われた。ヒューマンドラマだ。 2023.12.12
自分には難しい映画だったかな。 音楽への姿勢自体は素晴らしいけど行き過ぎた権力行使でキャリアが潰れたのは仕方ないかな、程度の理解だったし、ラストシーンは再生と捉えていいのかも疑ってたし。 とは言っても、ケイト・ブランシェットの演技は圧巻。 物音や悲鳴がタイミング悪く何度もホラー的に聞こえてきたのはまるで自分が追い詰められた気分になったし演出も見事でした。
初見はターを通してジェンダー規範に関係なく権威を持った者の振る舞いの横暴さ、地位にしがみつき続けようとする醜さを描いているように思えた。己の権威を笠に立場の弱い者たちに餌をちらつかせて都合よく性的に利用・搾取し、気に入らない者は学生でも子どもでも黙らせ、独善的に物事を決め、プライドと仕事に対する情熱と功績は他の比肩を許さず、一方で家事育児には都合の良いときだけでほとんど携わらない。 やってること権力者のおっさんやないか。 そう、しかも彼女は女性でありながら女性の地位向上に対する意識は著しく低く、むしろ努力すれば男女は関係ないと女性指揮者の梯子を外すような発言をし、ショーペンハウアー(音に敏感で神経質、女中を階段から蹴落として裁判[当然賠償]になる、若い女は美しいから好きだと言いつつ、女性蔑視な主観を羅列した文を発表した哲学者)に感情移入し、オーケストラの「部下」に当たるシャロンを妻にし、シャロンに家事育児はほぼ全振りした挙句都合の悪いことは全て秘匿してきた。 やってること権力者のおっさんやないか。(2回目) しかし、彼女は最初から「そう」だったのだろうか。オーケストラの指揮やピアノの演奏をすべて自分で演じたケイト・ブランシェットの圧巻の演技力のせいで、世界最高峰の芸術家の力への欲望と転落、音楽への情熱が際立つが、物語終盤のターの生い立ちが垣間見えるシーンでそれは否定される。 他の業界の例に漏れず男性優位のクラシック界で女性初の首席指揮者になったターは、女性であると同時に性的少数者のレズビアンであり、クラシックを嗜むような富貴な家柄の生まれでもない。家の造りからアメリカの保守的な地域だと推測すると性的少数者故の困難にも遭ったはずだ。 おそらくクラシックに無関心な近親者からサポートも得られず、孤独に必死に血の滲むような努力と数々の屈辱も味わって生き残り成り上がったのだろう。そう思えば冒頭のインタビューで述べた男女は関係ないという女王蜂症候群的発言も頷ける。 あらゆる立場の人間でも権力を持てば少なからず横暴になる皮肉を描いた面は大いにあるだろう。本作では立場を利用したセクハラやパワハラは悪きこととしてきちんと否定されている。 だがそれ以上に、過剰適応の結果まるでマジョリティと同じ振る舞いをするマイノリティの姿を描くことによって、現実のマジョリティの横暴さ、ターが「そう」ならなければ生き残れなかった現代社会の闇が背後から引き摺り出される非常に巧妙な毒が仕込まれているように思う。 ターは実在しないが、「そう」しなければ生き残れない「彼女」はどれだけいるのだろう。 《余談》 ①ラストシーンを含め、製作者側にアジア人に対して子どもの性を売る、未開で劣った、云わば「堕ちた」白人の行きつく場所というイメージがあるのかと疑問が残った。 ②おそらく一部はニューヨークメトロポリタン歌劇場(MET)の首席指揮者で名誉音楽監督のジェームズ・レヴァインの事件が基になっている。(40年間METトップに君臨していたが、2017年に1人の男性からセクハラを告発された) (字幕翻訳:石田泰子)
ケイト・ブランシェットの鬼気迫る演技が良い ターの傲慢さよりもポリコレ学生とキャンセルカルチャー側の傲慢さの方が印象に残った カリスマの指揮者を徹底的に描くと同時に狂気的な時代も炙り出す傑作