湿地の少女
※本文にネタバレがあります ネタバレを読む
原作とはまた違う物語に感じた。 ストーリーは終始綺麗にまとまっていたし、 カイアを取り巻く環境が生んだ悲劇もその終わりも、カイアのバックグラウンドや周囲の人々との関係などがわかりやすくテンポよく示され話が展開していった。 裁判での激しい論争がそこまでないので逆転無罪感はあまりないが、カイアが罪を墓まで持って行ったことはミステリーとしてもやや驚きがあるラストになっていた。事件の経緯やその方法などは明示されないがそれらはさして重要ではない。 カイアがどんな人物でどんな半生を過ごしてきたかそれが大切だった。 何より文字だけで伝わらない湿地に生息する動植物の綺麗さ、豊かさは素晴らしかった。 カイアを包んでいた自然が映像になったことが嬉しかった。 ただ、映画は ラブストーリーで、ミステリーだった。 それももちろん原作に描かれている要素だが大切な部分が薄まってしまっているようだった。 カイアは母を失い兄妹を失い、家族を失って孤独になった。そんなカイアにジャンピンやテイトが手を差し伸べ孤独なカイアが少しずつ成長していく物語でもある。 そして孤独の中でも逞しく生きていくには残酷な自然と向き合っていく必要があると訴えかけてくるのが本作だ。 映画の中ではカイアがホワイトトラッシュである描写やジャンピンへの黒人差別など差別や貧困の要素は垣間見えず、開発業者によって開拓される緑豊かな自然の破壊など環境問題の要素はおまけ程度に感じた。 (もしかするとカイアが綺麗すぎたからかもしれない) あくまでカイアは湿地に1人で住む変わり者でしかなくて、弁護士のトム・ミルトンが最終弁論で陪審員に偏見を捨てて事実のみで判断をするよう促しても、その偏見があまりわからなかった。 偏見や差別、欲や権力にまみれた残酷な人間社会というカイアにとっての自然環境で彼女がどう生きて抜いてきたのかが何より大切だった。 家でも学校でも街中でも孤独だったカイアが 生きてこれたのは自然が隣にあったからで、だから湿地から動くこともなかったし、人と会うことも嫌った。カイアにとっては孤独であることよりも怯えて暮らしていくことの方が耐えられなかった。 カイアはチェイスを殺している 法廷で検察側が立証できなかったカイアへの曖昧な物証などは真実であって、カイアは深夜にバスの運転手の記憶に残ることなくバークリーコーヴに舞い戻りチェイスを櫓から突き落としてペンダントを持ち去った。カイアはチェイスの死を知っていたから保安官から逃げ、ペンダントを隠し、罪を受け入れていた。 自分の力ではどうにもならない裁判では弁護士のトムに身を委ねる他なく、自然から隔離されたカイアにとっては無罪でも有罪でも関係がなかった。 死刑だろうと釈放だろうと どんな方法であっても解放を望んでいた。 カイアはチェイスを殺している。 それは生きるため。 "そこに悪意はなく、 あるのはただ拍動する命だけなのだ。" カイアは孤独に耐え、父の機嫌を伺い より優れた雄を探して、懸命に生きてきた。 自然を生き抜くホタルのように。 映画にすることで時間的にも表現的にも制約を受けるのは致し方ない。 ただ、文学作品を商業映画として再構成したことで、ラブストーリーとミステリーに重きが置かれて恋愛模様がメインに据えられていたし、トムも映画冒頭から登場し裁判のシーンにも長い時間を費やしていた。 カイアが1人で父や補導員や街の人々に怯えながらも懸命にお金を稼ぎ、空腹を満たし、自然を愛する姿はもう少し描いて欲しかった。 あとジャンピンとスカッパーと アマンダ・ハミルトンのことも。 小説の中では、カイアの幼少期が物語の3分の1を占めていたし、彼女がどう生きてきたのか、なぜチェイスを殺したのかそこに至る背景が描かれている。 母やジョディを失った喪失感 ホワイトトラッシュとして受けてきた差別 貝や燻製を売ってお金を稼ぐ術 父親と上手くやっていく方法を模索していく様 自然を知り、受け入れ、適応していく姿 カイアに焦点をあててカイアという人物がどのようにして形成されていったのかが印象的に描かれていた。 また、 読書小屋でテイトと過ごした時間 ビックレッドが繋ぐ家族との思い出 カイアに優しく寄り添うメイベル 黒人差別を受けても耐え忍ぶジャンピン 息子の思いを尊重して誇りに思うスカッパーなど カイアの周囲の人々が彼女へ 直接的に、間接的に、影響を及ぼす。 原作を読んでいたから物足りなく感じてしまったが、映画としても満足度は高いと思うからこそ、映画を見た方で、原作を未読の人はぜひ読んでほしい。 映画よりももっと重厚で繊細な湿地の少女が描かれてる。