主観が生む怪物
starstarstarstarstar - 3年前
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悲劇にしか捉えられず悲しくなった。
誰の視点から見ても悲哀しか感じ取れなかった。
(大人の視点で見てること自体解釈違うのかも)
子どもを傷つけられ乏められる母
子どもの嘘に振り回され陥れられる新米教師
事実の解釈を捻じ曲げて体裁を整える教師陣
家では虐待され学校ではいじめられ忌避される友
自分の意思と周囲の意思にかき乱され混乱する息子
視点が変わっても誰もが誰かのために自分のために
思いやりや愛情を持って接しているはずなのに
すべてが負の顔しか見せず、暗澹たる思いに侵される。
誰が怪物だったかと言えば全員怪物だった思う。
放火しちゃってそうな星川は言わずもがな
何を考えてるかわからず車から飛び降りる湊も
追い込まれて狂気の笑顔を湊に向ける保利先生も
息子を守るために学校と全面戦争する母も
何の意思をなく逃げることしか考えてない校長も
事なかれ主義の教頭をはじめとした教師たちも
いじめをする子どももそれを見てる子どもも
みんなみんな怪物だったんだと思う。
でも、それぞれの凶暴さは悪意からくるものではなくて
家族や学校や自分を守りたい一心での言動であって
誰しもが怪物性を秘めているんだぞと受け取った。
ストーリーは正直飲み込みきれず…
視点が切り替わることによって物語が繋がってくるが、安藤サクラ視点で見た時には息子を傷つけた可能性が高い担任やそれを有耶無耶にしようとする学校側が悪くうつるのはわかる。でもそれにしたって不貞腐れながら謝罪したり飴舐めるとは思えないし、その事実がある時点で担任視点の誤解だったという話の辻褄は合わないように思えた。校長も孫を轢き殺してるかわからなけいど、たとえそうでなくてもスーパーで子どもに足かけたりしてる時点で性悪で、孫との写真を見える位置に置いたり、とても人間とは思えなかった。
誰の視点で見るかによって事実は異なり、また真実もまた全てはわからないという構造は面白いけど、本作は結局安藤サクラ演じる母が正しすぎて他があまりに歪んで見えた。もう認知の歪みでは説明できない事実が転がりすぎてた。
そうやって作品に整合性を求める自分もまた怪物たり得るのだとレビューを書きながら思い知らされる。そういう意味ではとても面白い映画だったと思う。
誰もが怪物を心に飼い慣らし、
誰もが怪物と対峙している人間だと思い込んでいる。
演者の皆さんの演技はもう言うことなく、子役の2人も目を剥く巧さ。ここはさすが是枝監督という感じ。
他にも03の角ちゃんとか野呂佳代とかがスパイスになって緩急生んでいたような印象。とってもよかった。
そして何より音楽、最初から最後までこんなに音楽が耳に入ってくるだなと思う一方で坂本龍一さんがもういないことに悲しさが込み上げてくる。
全体通じて見応えのある骨太な作品だった。
ただやはり観客に委ねすぎだと思う。
解釈の幅があるのは作品として深みを増すし面白いけど、つまるところメッセージが何なのか不明確でモヤモヤが残った。
特にラスト
悲劇として物語を読み進めていた自分にとっては、台風一過の中、嬉々として走り回る2人は死を迎えたとしか見えず、解放が死であることに軽く絶望した。(母らも見つけられてなかったし)
でも、そんな解釈悲しすぎて、
そんな物語が輝いて見えるなんて、
困惑と悲哀と苛立ちを抱いて映画館を出た。
(普通に生きてるかもだけど)
それとこれは是枝監督がどこまで意図してるかわからないが、セクシャリティに関して。
小学5年生が父親から性的指向を矯正させられようとしててそのこと自体全く理解できない自分もやはり主観でしか見れてないんだと痛感した。
自分は小学生の頃、仲のいい同性の友達に好かれたかったが恋愛感情だとは思わなかったし時代の変化なのかわからんが、そんなにセクシャリティに自認性を求める社会も映画界も正直気持ち悪い。
本作がクィア映画としてもてはやされるのであれば、子どもに多様性を押し付けている大人の卑しさとしか思えなかった。(押し付けてるのは監督ではなくカンヌだろうけど)
万引き家族が好きだったな。
今作は対照的に冷たくて薄暗くて苦しかった。
そして何より、理不尽とか諦めとか鬱屈した感情を
リアリティもって受け入れる自分が怖かった。
怪物だーれだ
starstarstarstarstar - 3年前
予備知識なしで見たら、田中裕子、永山瑛太、の悪役ぶり。最初、流石にこれはあり得ない、是枝監督、変わっちゃったか、と思っていたら。なぜ嘘をついたのか、子どもたちも、そりゃ説明できない。悪意があって先生を悪者にしたわけじゃなかったが。母親とテレ… 続きを読む
予備知識なしで見たら、田中裕子、永山瑛太、の悪役ぶり。最初、流石にこれはあり得ない、是枝監督、変わっちゃったか、と思っていたら。なぜ嘘をついたのか、子どもたちも、そりゃ説明できない。悪意があって先生を悪者にしたわけじゃなかったが。母親とテレビ番組を見る場面、あのテレビ画面の画像は、後から意味があったことが分かった。子どもに向かって、あなたが家族を持つまでは母さん頑張る、とか、知らないうちに子どもを傷つけていたんだ。抱き合い、自分の体の変化に驚くミナト。LGBTQに限らず性徴期の悩みは母親には言えない。先生も母さんも気付いて探しに行くが、助かったのか。意識して心中したんじゃないと思うが、生まれ変わり、とか、最近、トレンドの言葉にちょっとぎくり。
スゴい力量の映画。オチが…
starstarstarstarstar - 3年前
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役者さんはスゴいし文句なしの見応え作品でした。終盤までは文句なしでとんでもな逸品だと思いましたが、個人的にオチがあんまり好きではありません。なんか友情のほうよかったなぁ。友情だったらそこまで一緒にいないのかな。深刻なテーマですが、とにかく各役者さん見事でした。観て損はない作品かと思います。
怪物の及ばない世界
starstarstarstarstar - 3年前
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表面的には教師による児童暴行事件。
当事者それぞれの主観で時系列をなぞり、少しずつ物語の核心部分へと迫る構成がとても面白かったです。
母親にとっては、事なかれで責任を取りたがらない学校という機関が怪物のように映ったはずです。
先生にとっては、過保護に見える母親、決めつけで責任を負わせる学校、嘘をつく少年、騒ぎ立てるメディア、そうしたもの全てが取り巻く教育の現場が怪物の巣窟のように思えたはずです。
少年2人にとっては、普通であることを期待し、あるいは押し付ける大人や世間が恐怖の対象であったかもしれません。
2人の周囲を取り巻くいじめも、周りに合わせなければ、という同調圧力の権化です。
または、普通と違ってしまう自分自身の心や2人の関係性にも不安を感じていたように見えます。
例えどんな距離感や関係性であっても、思いやりや優しさがあったとしても、互いが互いにとっての怪物と思えてしまうことがあるのだと思います。
それは、掴めない人がいる幸せを、皆が掴もうとしてしまっているからなのかもしれません。
そして校長の言葉を借りれば、それは幸せとは呼べないのでしょう。
事件の真相、2人の関係性と心の内、物語の核心に迫ってきたところで嵐が来ます。
先生と母親が必死に泥をかき分けるシーンは、まるで怪物が子供の住処に、あるいは心の内に入り込もうとしているようにも映りました。
しかしその先に2人はおらず、嵐が過ぎ去った後、泥だらけになりながら楽しそうに2人が駆け出すところで映画が終わります。
世間も大人も常識も普通もない世界、2人だけの、無邪気な子供たちだけの世界。
将来の事を考えれば、ほんのひと時だけかもしれないけど、この時ばかりは2人が幸せであったと確信できます。
そして、そこに怪物の手が及ぶ余地はありません。
子供には子供の、2人には2人の世界があるはずなのだと、監督の意図とはズレているかもしれませんが、そんなことを見終わったあとに考えました。
この映画はあなたを試してます
starstarstarstarstar - 3年前
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クィアをLGBTという最近仕入れた知識や文法で把握するのではなく、マイノリティ、マジョリティ関係なく対人への想像力という形で問題提起したのが本作の功績。
安藤サクラと瑛太が2人で窓の泥を掻き拭きながら、雨の雫が点々とし、最後は2人で窓をこじあける。まるで、現代のLGBTを取り巻く事象の流れを示唆するかのようで、感動した。関心のある人が声を上げ、その声が自然に広がり、最後はなんでもなかったかのように時代に存在する。それを、泥水と手と雨と窓で表現した脚本は素晴らしい。