煮え切らない4人の重い時間を覗く
米・校内銃乱射事件の被害者生徒と加害者生徒の両親同士の面会。冷静ではいられない事態。動揺の中で始まった会話の目的は何か。和解ではない。 本作はどちら側にも片寄せしていない。あなたならどうする?と問いかけているようで考えさせられた。加害者母の再登場シーンでつかえていたものが取れる。 それにしても俳優さんたちプロだなー。 2024.1.17
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アメリカの高校で、生徒による銃乱射事件が勃発。多くの同級生が殺され、犯人の少年も校内で自ら命を絶った。それから6年、いまだ息子の死を受け入れられないペリー夫妻は、事件の背景にどういう真実があったのか、何か予兆があったのではないかという思いを募らせていた。夫妻は、セラピストの勧めで、加害者の両親と会って話をする機会を得る。場所は教会の奥の小さな個室、立会人は無し。「お元気ですか?」と、古い知り合い同士のような挨拶をぎこちなく交わす4人。そして遂に、ペリー夫人の「息子さんについて何もかも話してください」という言葉を合図に、誰も結末が予測できない対話が幕を開ける─。
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米・校内銃乱射事件の被害者生徒と加害者生徒の両親同士の面会。冷静ではいられない事態。動揺の中で始まった会話の目的は何か。和解ではない。 本作はどちら側にも片寄せしていない。あなたならどうする?と問いかけているようで考えさせられた。加害者母の再登場シーンでつかえていたものが取れる。 それにしても俳優さんたちプロだなー。 2024.1.17
ほぼ全部はコミュニケーションけど 人の心響力が有る作品
銃社会で起きた少年犯罪を題材にした映画ですが加害者の親と被害者の親が会って話す事が可能なのか疑問でした。私のイメージとしては被害者は法によって加害者を裁き納得するしか無いと思っていました。被害者側が加害者側と話して現状を乗り越えていく事は思いつきませんでした。 映画の中でも相手への気遣いで緊張感があったり、感情に流されて行ったりしますが、いい結果にたどり着いたと思います。でも全ての場合でそうなっているのかは疑問です。 日本でもこの様か事は行われているのでしょうか? 起こった事は変えられないけど、残った人はそこから何を学ぶかを考えていくべきなんでしょうね。
何度も泣きそうになった。 BGMはなく、回想シーンが入ることもない。ただただ狭い部屋で対峙する2つの家族を自然なカメラワークで見つめることになる。 加害者家族と被害者家族。そこには天と地ほどの差がある。頭ではもう全て分かっている。事件のことも互いの家族のことも、亡くなった全ての人のことも、事件を起こした加害者のことも。 加害者家族に贖罪の意思があることも全部頭では分かっている。…でも心では受け入れられない。 対話を通じて一つ、心から理解できた。加害者夫婦も自分達と同じように息子を愛しているのだと。 最後に口にすることができた「赦す」という言葉が互いの家族の救いとなった。悲しい過去と憎しみに囚われず、前を見て進むことができる。それはまさに希望だと思う。
被害者も加害者の姿も事件の現場も一瞬たりと映らないのに、まるで本当にあった銃乱射事件のように感じさせてしまうキャストの演技力、そして監督の脚本が卓抜していた。 《パンフレット》 「修復的司法」の文字を見て『被害者は嘘をつく(著:小松原織香,筑摩書房)』を、 異なる立場の人間が会話を通してお互いを理解する手法でイギリスの小学校のテストで「エンパシーとは何か」という問題に「相手の靴を履いてみること」と答えた『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー(著:ブレイディみかこ,新潮文庫)』を思い出した。 《余談》 本作はフラン・クランツ監督にとって初監督/初脚本、制作費250万ドルの超低予算映画とのこと。クオリティの高さに驚愕。
ヒリつく115分だった。 最初は誰の対話だか、分からない。互いの子どもについて語り、高校の銃乱射事件の被害者と加害者の両親達の対話だということが次第に分かっていく。 最初はぎこちない会話から。言いたいことしか言えないし、聞きたいことしか聞けない。責めることしか出来ない被害者の親と、謝ることしか出来ない加害者の親。 そしてある時、開く。繋がっていく。聞きたいことと、言いたいことが合致していく。 そして対峙がようやく始まる。
お互いにやり切れない気持ちを抱えて対峙する家族。そこには加害者も被害者も居ない。 教会関係者のソワソワする気持ちとは裏腹に重い空気が流れます。キャストは豪華ではありませんが、グーニーズの目が悪いお姉さんも出演しています。最後にコリーフェルドマンと仲良くなってましたよね笑 さて、物語は対峙して何を話すのか、当事者たちの居ない家族は何を聞きたいのかがポイントです。家族には家族にしかわからない想い出があることでしょう。相手には自分の家族とは違う生い立ちに戸惑いもあるでしょう。それでも子育ては続きますし、正解なんてないことがわかる映画です。 ラストに流れる音楽、語り。それらが無宗教でも寄り添う場所として教会が存在する意味を感じるような映画でした。それが、ソワソワする教会関係者と対比されているようで静かに休まる空間と音楽、やり切れない気持ちを安らげる場所として対峙する場所に選ばれたのだと思います。 答えのない答えを見つけに映画館で観てください。
演技とは思えないリアリティ。素晴らしい作品。
息子の最期の様子を語るシーンで父親の感情が爆発し、同時に私の涙腺も崩壊。 すみっこ席でよかったよかった。 奪った側と奪われた側が同列に我が子の喪失を語るなんて。 途中で怒りと悲しみに震えました。 たくさん泣いたからか、 見終わった後はマーサ・プリンプトンの表情のように穏やかな気持ちになれました。 言葉のひとつひとつで場の空気がシュッと変わる。 冷たいもの、煮えたぎるもの、あたたかいものへ。 脚本も素晴らしいし演技も素晴らしかったです。 すごい映画でした。
ほぼ密室の4人だけの会話劇で、過去の映像や写真などの説明的なものはないのですが、会話の進行とともに事件の様子やそれぞれの生活などの輪郭がはっきりとしてきて、子どもたちの姿も浮かび上がってくるようでした。それをもっと見たくなり、追いかけるような気持ちで鑑賞しました。 被害者の親が加害者の親を責めたくなる気持ちが当然だと思う一方、それぞれの立場になったことは必然ではなかったとも思うので、どうすれば良かったか、これからどうすれば良いかの答えも見当がつかないです。 こういう出来事も幸いなことに身近でないので、普段考えることもないのですが、他人事ではないと怖くなりました。 2023/02/23シャンテ
映画の大半が共に息子を失った相反する立場の2組の夫婦の対話なのに、これほど圧倒される作品に仕上がっていることに驚く。企画、脚本にまず感服、演出、俳優たちも素晴らしい。 被害者の両親と加害者の両親、そのどちらにも苦しみと悲しみがある。その双方の思い、言葉に尽くせない思いに耳を傾けながら、わたしたちは成り行きを見守る。いや、見守るというより、双方の苦しみ悲しみがその上を行き交う、夫婦2組の間のテーブルになる。 被害者側両親の怒りや憎しみはどうなるだろうか…?加害者側両親の罪悪感や謝罪はどう表現されるだろうか…?型通りのこちらの予想を見事に打ち崩してくれる、フィクションであることを忘れかけるほどの、胸の詰まるような感情が吐露され、対話は続く。ドキュメンタリーでもないのに、よくこんな脚本が書けるものだと感心してしまう。 原題のmass(重み、しこり)、双方がそれぞれに抱えていたしこり、双方の間のしこり、それらは溶解することができるだろうか…? 対立する立場の相手とでも対面すること、話し合うことの大切さを、改めて教えられた気がする。 ラストに聴こえてくる聖歌隊の練習する讃美歌の一節「心の交わりは、いと尊きもの」、そのとおりだと思った。
正直言って始めはわからなかった。 何がしたいのか。 被害者家族と加害者家族が同じ席に着く。 そこから何が生まれるのか。 ただ憎悪と後悔しかないのではないか。 もう起こってしまったものは取り返しがつかない。 過去は過去。 こんな大きな心の傷は絶対に消えない。 なのに、なぜと。 もし自分が被害者の立場だったら冷静に話なんかできない。こんな場には行きたくはない。顔も見たくない。 もし自分が加害者の立場だったら何も言い返せない。ただひたすら謝るしかない。謝って許されることではないが謝るしかない。 そう思って見ていたがどうだろう。 全く予想通りの展開にはならなかった。 面白かった。 面白いという表現が適切だとは思えないのだが、面白かった。 そうかコレがしたかったのか。 腑に落ちた。 (しかし腑に落ちたものの自分が同じことをできるかできないかと問われれば、できないだろう。自信はない) 映画の100ある魅力のひとつに人生の格言を得られるというのがある。 今回得られた格言はコレ。 「誰かのせいにして人生から逃げない」 勇気をもらいました。
最初から、赦すと言うつもりだった被害者の母親。前に進むために。でも加害者の親と対峙してみると感情が許さない。加害者の母親は自分の息子を精一杯愛したと思っているし、何がいけなかったのかわからない。父親は自分は悪くない、と思っている。被害者の父親は、こうなった理由が知りたいので、詰め寄るが答えは得られない。話しているうちに被害者の母親は、あるときの息子の姿を思い出す。泥だらけで誇らしげに笑う息子。息子が生きていた意味を知ったのだ。加害者の母親もあるエピソードを吐き出して泣き、二人の母親は抱き合う。被害者の父親も何か啓示を受けたように笑う。加害者のお父さんだけ、置いてけぼり。あのお父さんだけ、変わらない。そういう描き分けもすごい。
あっという間だった。 半分以上は一室での話し合いの様子を映したもの。 これはドキュメンタリーではないよな?と思うくらいに役者さんの演技は素晴らしいもでした。
被害者と加害者の両親が対峙する構図から それぞれが息子と親への対峙と移り変わる 被害者の両親は救いを求めて席に着く なぜ息子が死ななければならなかったのか 加害者の少年がなぜ凶行に至ってしまったのか なにか防ぐ術はなかったのか やり場のない怒りや混乱をぶつける 一方で加害者の両親は 愛する息子が人を殺し自身も社会から封殺され これ以上私たちに何ができるのか 過去を悔やんでも何が悪かったのか 自殺した愛する息子を弔うこともできないのか 彼らは彼らなりの葛藤を口にする 円卓を囲んで対峙していた両者は 会話を通して親と子の関係性を見つめ 席を移動しながら己の中で苦悩する 人を殺めた息子の人生に価値はなかったのか あなたを赦してしまうと息子を失うのではないか お互いが抱える不安定な何かを お互いが認め合って次第に融解していく。 最後には円を囲んで祈りを捧げ 音のない永遠にも感じる空間から世界に音が戻る。 複雑で混沌とした空間で感情と理論とが入り乱れ、 言葉にできない想いを伝えようと皆が何度も苦心する。 文化的にも宗教的にも理解が追いつかない部分も多い 何に怒り、何に悲しみ、何の答えが欲しいのか 無秩序で不規則にも見える会話のやり取りの中で 答えを見つけてしまうことへの恐れが見え隠れする 圧倒され続けた2時間だった。