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せつなかったです。 12歳の心は繊細。
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花き農家の息子のレオと幼馴染のレミ。昼は花畑や田園を走り回り、夜は寄り添って寝そべる。24時間365日ともに時間を過ごしてきた2人は親友以上で兄弟のような関係だった。13歳になる2人は同じ中学校に入学する。入学初日、ぴったりとくっついて座る2人をみたクラスメイトは「付き合ってるの?」と質問を投げかける。「親友だから当然だ」とむきになるレオ。その後もいじられるレオは、徐々にレミから距離を置くようになる。ある朝、レミを避けるように一人で登校するレオ。毎日一緒に登下校をしていたにも関わらず、自分を置いて先に登校したことに傷つくレミ。二人はその場で大喧嘩に。その後、レミを気にかけるレオだったが、仲直りすることができず時間だけが過ぎていったある日、課外授業にレミの姿はなかった。心ここにあらずのレオは、授業の終わりに衝撃的な事実を告げられる。それは、レミとの突然の別れだった。移ろいゆく季節のなか、自責の念にかられるレオは、誰にも打ち明けられない想いを抱えていた……。
© Menuet / Diaphana Films / Topkapi Films / Versus Production 2022
せつなかったです。 12歳の心は繊細。
■ 打ちひしがれてもぼろぼろになれないくらいには私は大人になっていたのだ、と気づかされた映画だ。 ■ レオにとって、それは「言葉にできない」以前に「言葉にならない」であったと思う。名詞に形容詞をくっつけたら意味が広がります、なんていった言葉の用法の入口を学び始めた年端もいかない少年だ。だから意味ある言葉は劇中にほぼ現れない。 ■ それでも、“そこにたしかすぎるほどに存在し影をおとしたもの”、…それをめちゃくちゃ丁寧に描き出していた。言語表現を伴わずともこんなに焦点の定まった感情表現が可能なのかよ…、という感嘆がある。 ■ 「会いたい」という一言になにもかもがすべて現れていたと思う。きっと、意図とか気持ちとか込めていなくて、ただ純粋にこぼれおちた言葉、だったんじゃないか。まだ言葉にならずままならない年端だから、意味のある言葉は現れない。だからそこに表出した「会いたい」にはすごく意味が表れていた。 ■ めちゃくちゃ良かった。静かな気持ちになっている。
互いを宝物のように思い合っていた幼馴染の2人。思春期を迎え、同級生の冷やかしから、その関係性に恥を感じてしまう。 そうして「永遠を壊したのは、僕。」のコピーにつながっていく。 人は何かを失った時、それを受容するまでにプロセスが必要。 それが「悲嘆反応」。 家族であったり、自分の身体の一部であったり、親の認知症なんかも喪失体験になる。 悲嘆反応自体は自然なことだし、時間経過は様々だし、誰もが必ず通るプロセス。 けれど、それが何らかの理由で停滞してしまうのが「病的悲嘆」。喪失を否認し続けたり、怒りの感情に留まり過ぎたりと、理由は沢山ある。 特に自死の場合、残された人にはより多くの宿題が課せられてしまう。 いずれにせよ私達は皆、恥や喪失を持っているワケで。 とても美しい映像を観つつ、胸の奥がチクンとする感じを味わう映画でありました。
幼い頃から親密に付き合い、それがごく自然なことだったレオとレミが中学に入学して出会った「普通の世界」は広いが彼らには厳しいものだった。そこでレオが取った選択が悲劇を呼ぶ。例え彼らの友情が恋愛のように親密に見えても、かけがえなく、悲劇がなければ未来もお互いに寄り添って未来を見られたかもしれない存在になり得たのに、その可能性をつかめなかったレオの姿を見続けているのがとても辛かった。
2人だけの時間から学校へ行き、たくさんの人との交流が、始まる。これから2人だけの時間が少なくなる。社会で生きていくには、成長しないといけない。その壁を乗り越えていかないといけない。そうやって大人になっていくのでしょう。 台詞が少なく、気持ちの描写を表情から読みとる映画です。