南十字星に向かって拳を突き上げろ!
starstarstarstarstar - 3年前
原作は2005〜2009年にかけて起きた事件を元にしているそうです。「めっちゃ最近じゃん!怖っ!」と思いましたが、
実際に映画を見て「違う!これはどこかで起きた事件ではなくて、今現在の私の事だ!」と感じました。
恐ろしいことに、自分自身の… 続きを読む
原作は2005〜2009年にかけて起きた事件を元にしているそうです。「めっちゃ最近じゃん!怖っ!」と思いましたが、
実際に映画を見て「違う!これはどこかで起きた事件ではなくて、今現在の私の事だ!」と感じました。
恐ろしいことに、自分自身の固定概念/常識/普通の中にも間違いが潜んでいる。
何をもって間違いだと判断して、どう向き合うのか?
その答えの導き方がこの会話劇に詰まっていました。
キリスト教の宗教感で語られる部分が多いですが、ろくな教育を受けられず読み書きも出来ない女性たちの話し合いのなかに、
インドのマハトマ・ガンジーの精神を見る衝撃!
置かれている立場や国や宗教が違っても、南十字星のように不動の判断基準があることを確信しました。
ゴールが遠過ぎて見えなくても、迷った時は南十字星を確認すれば良い。
恐れずに一歩を踏み出す勇気が胸を打ちます。
同じ体験をしても、個人個人で受け止め方も違えば、反応も違う。
関わる年代や立場でも違う。
女性を取り巻く様々な問題が語られ、考えさせられることが沢山ありました。
なかでも私が強く感じたのは子供への教育の大切さ!
教育とは知識の取得だけではなく、未来そのものなのだと感じました。
このテーマを描く切ない愛が、また泣けます。
子供は親の所有物ではないから強制は出来ないけど、どこから子供の判断を優先させるべき?親の庇護下における線引きは?など、この先の不安材料も残しつつ…
でもまた何か問題が起きたとしても、きっと彼女たちなら話し合うことで解決を導き出せるはず。
全ては対話することから始まる。
南十字星に向かって拳を突き上げろ!
日本からは見えないけど。笑
☆4.4
starstarstarstarstar - 3年前
原作はカナダの作家ミリアム・トウズが南米ボリビアの宗教コミュニティ内で実際に起きたの悍ましい連続レイプ事件に発想を得た同名小説。この事件の被害者の最年少は3歳、最年長は65歳だ。
牛を眠らせる薬剤を使って昏睡させ痣ができるほど暴力的な性行為… 続きを読む
原作はカナダの作家ミリアム・トウズが南米ボリビアの宗教コミュニティ内で実際に起きたの悍ましい連続レイプ事件に発想を得た同名小説。この事件の被害者の最年少は3歳、最年長は65歳だ。
牛を眠らせる薬剤を使って昏睡させ痣ができるほど暴力的な性行為に及ぶ。妊娠しても誰の子かわからない。娘を産めばその子も同じ目に遭う。(では息子なら?加害者の男も昔は“男の子”だった。)
被害の内容も暴力を振るった男たちも個々の動機も特徴も議論には上がらない。
しかしそれらが残す傷跡と、家父長的な宗教的伝統や教えの構造がいかに女性の権利と主体性を奪い抑圧と虐待に繋がるか、また3世代の女性が出演することでこうした構造がいかに長く根深く残るか、そして男性コミュニティに育まれる有害な男性性(Toxic masculinity)を鋭く描く。
話し合いは丁々発止のディベートではない。ゲーム的な“論破”もない。
それまで教育を受ける権利はおろか思考することや自我を持つことを禁止され、国勢調査では「いない」ことになっている女性たちが加害者たちが保釈され家に戻るまでの僅か2日間で、今後の人生をどう歩むのか、女性たちだけで話し合い決断しなくてはならない。そんな彼女たちの戸惑いと不安、葛藤、怒りが、青みがかった素朴なスクリーンに交錯するからこそ、その熱量が際立っていた。
被害に遭った女性にはそれぞれに名前があり、性格があり、年齢も考え方も異なる。被害の度合いも受け止め方も違い、ときに被害者同士で傷つけ合うことすらある。「自分の方がつらかった」「自分は我慢したのに」「他に選択肢なんてなかったのに」と。それでも手を繋ぎ連帯する。
もしかしたら宗教的には赦せば「良い人」になれるのかもしれない。しかし赦しを自身の免罪に利用とする者にとってはただの「都合の良い人」だ。
「未知への希望は故郷の恨みより良い」
“DAY DREAM BELIEVER”な彼女たちの未来に幸あれ。強く賢く逞しく、そして自我を持て。
《余談》
(『イニシェリン島の精霊』の余談でも書いたが)
閉鎖的で硬直化した社会から周縁化される者たちがその社会に見切りをつけて出て行くのはこの国も変わらない。
外務省の海外在留邦人数調査統計で、2022年10月1日現在、日本の海外永住者は過去最高の約55万7千人となった。海外永住者の6割は女性だ。「あそこは大変だ、嫌なところだなあ」などと言える状況ではない。
2023年の日本で性犯罪に関する法律がようやく大きく変わろうとしている。「あなたの物語はきっと違う」どうか違っていてほしい。
子どもの世話をしていたメルヴィンはトランス男性という描かれ方なのだろうか。
もし村の男性でトランス女性がいた場合はどうなったのだろう。きっと女性たちは敵意を持って拒絶する。羊が狼の群れに入っても狼に脅威はないが、狼が羊の群れに入ると羊が全滅する脅威があることの非対称性に解決策はあるのだろうか。
(字幕翻訳:伊原奈津子)
🐙
starstarstarstarstar - 3年前
※本文にネタバレがあります ネタバレを読む
0情報で行ったからホントにビックリした。
実話なのね。
情報も教育も遮断され孤立している村の中でより孤立される女性たちの「12人の怒れる男たち」のような会話劇。議論の面白さが全面に出てる。
加害者男性側が一切出てこないのはそこへの嫌悪や憎悪を増幅させる物語ではないからか?たしかに復讐劇でもなんでもなく、存在しない。ある種の脅威として描かれる男性。
2010年度が効いてくる。現代性とは何を指すか、私たちは文明の発達の中にいて、それゆえに倫理観や価値観を形成しているのでは?と思えて来る。生まれたままの本能のままだと男性優位社会に落ち込むのかもしれず、女性を搾取してしまう生き物なのか。頭を抱える。現代劇として描く事でその問題は浮き彫りになっていくことが恐ろしい。現代ではあるのにそこから現代性を削ぎ落として、原始的な環境下に村を形成した時、それは結果的に実験的であるわけで、その結果を描いてるのがこの映画と言える。
「あなたの物語はこうではない」という締めくくりに込められた思い、願い。
「あなたの物語はきっと違う」か?
starstarstarstarstar - 3年前
※本文にネタバレがあります ネタバレを読む
自給自足の暮らしを営みながら、信仰に生きる人々の平和な村のはずだった。が、訴えても相手にされない「悪魔のしわざ」が女性たちを不安に陥れていた。そしてついに「悪魔のしわざ」は村の男たちの卑劣な暴力であったことが判明する。
この村の女性たちには教育が授けられていないため、彼女たちは読み書きができない。それでも方法を考えだし、投票をし、意見を交わし続ける。時には怒ったり泣いたり笑い合ったりなだめたりしながら、時には讃美歌で心を鎮めながら、老若の女たちの緊迫した話し合いが続く。
与えられた時間は男たちが留守のたった二日間。限られた時間のなかで大決断を下さねばならないのだ。男たちの卑劣な暴力を赦すべきか?留まって闘うべきか?住み慣れた村を捨てて立ち去るべきか?めったにあるものではない、何と大きな決断を迫られていることだろう…。
子供たちはどうするのか?男の子たちをどうするのか?兄弟や息子たちともう会えなくてもいいのか?赦さないと天国に行けないのではないか?闘っても、結局赦すことになるのではないか?赦すことは、許可と混同されてしまうのではないか?地図を見たこともないのに、どこに行けばよいというのか?どうすれば神の教えに背かずに済むのか?
わたしたち観客にとって驚天なのは、この物語が2010年の出来事とされていることだ。アメリカ映画を観ていると、時々、時間が止まったままのような地方の町が出てくるが、そういうものとは別種のこのようなコミュニティ、現代社会に背を向け、信仰を拠り所とした清貧で平穏な暮らしを求めるコミュニティで、そのような事件が発覚する。たとえ囲い地でも、やはり世界は地続きなのだ。
彼女たちの話し合いのプロセスと決断への道のり、そしてその力強い行動力に、わたしたちの希望を観た気がする。
【追記】しかし気になることがある。メルヴィンとオーガストだ。メルヴィンは彼女たちと行動を共にしたのか?(ラストで馬車と一緒に歩いてはいたが。)オーガストをなぜ連れて行かなかったのか?(終盤近く、オーガストが何か言おうとしてやめたのは、「自分も同行させてほしい」と言いたかったのではないか?)メルヴィンもオーガストもあの村に残ったら、暴力的な男たちに殺されかねない2人だ。
さらに気になるのは、彼女たちは選び取った決断を成功させることができたのだろうか?村に戻ってきた男たちが追いかけてきて、暴力的に連れ戻されたなどということも起こりえたのではないかと心配になった…。映画では、その後は何も語られていない。
旧態依然の村社会
starstarstarstarstar - 3年前
※本文にネタバレがあります ネタバレを読む
今でも後進国にはこうした男社会があって、情報も隔離されてるのかと、知らされた。演技もリアルで没入しました。