核戦争による放射能汚染で荒廃した世界に唯一残された「緑の地」。そこに暮らす「鉄馬の女たち」の少女Furiosaは、突如現れたバイカー集団に見つかり連れ去られてしまう。
◆ I'm Furiosa!!
「行って帰って来るだけ」というシンプルなストーリーながら、過酷な環境下で展開される重厚な人間ドラマと息を飲む激しいアクション、そして他に類を見ない強烈な世界観が高く評価されたGeorge Miller監督作品『Mad Max: Fury Road』の続編であり前日譚にあたる今作。
前作でアカデミー女優(『モンスター(2003年)』)のCharlize Theronが演じたキーキャラクターであるFuriosa大隊長の過去を描いたスピンオフ作品。若き日の大隊長役には、注目の若手実力派女優のAnya Taylor-Joyが大抜擢。力強い眼差しが印象的な彼女は、過酷な世界を生きる未来の大隊長の役にピッタリとはまっていました。
前作では「砦(シタデル)」での暮らしぶりが中心に描かれていましたが、今作では砦の周りに広がる「荒れ果てた地(ウェイストランド)」にもフォーカスされていました。
文化的な側面も掘り下げられていて、奇抜なファッションや超攻撃的な改造車両は勿論そのまま登場するのですが、その素材に「人間の皮膚」や「人骨」といったヤバいものが使用されていました。人間の血とトカゲの肉を混ぜたソーセージが供されたり、吊るした遺骸に沸いた蛆を集めたり、世紀末のマッドな食卓事情も明かされています。砦の周りには前作以上に暴力的でポストアポカリプティックな世界が広がっていました。砂とガソリンに塗れたあの世界が、平面的にも背景的にも拡張されて奥行きが増しています。
過去の作品に対するオマージュシーンがそこかしこに見られたのも嬉しいポイント。「これは!」と気が付くと、ついついニヤリとしてしまいます。
◆ There is no hope! Not for them,
not for you, certainly not for me!
今作ではFuriosaの他にも懐かしい面々がズラリと顔を揃えています。絶対的な砦の領主であるImmortan Joe(Lachy Hulme)と、彼の私設軍隊であるウォーボーイズ。ひどく個性的な取り巻き(人喰男爵、武器将軍、息子)たちなど、前作で強烈なインパクトを残した尖ったヤツらが引き続き登場していました。エポックメイキングな前作と同一のキャラクターが登場するだけで此方のテンションも爆上がり。
そんなかなり尖ったキャラクターたちが跋扈する作品に仲間入りした新キャラクターも負けず劣らず強烈な個性を放っています。
今作で新たにヴィランとして登場したのが、幼いFuriosaを攫ったバイカー集団を束ねるボスのDementus(Chris Hemsworth)。
彼が資源の豊富な砦を牛耳るImmortan Joeに喧嘩を吹っかけた事で、物語のギア上がっていきます。終末世界で危うい均衡の上に成り立っていた状況を悪気なくどんどん掻き乱していく様は、クレイジーなキャラクターばかりが登場する世界においてさえ際立った狂気を放って見えました。
配下のバイカー集団をまとめあげる程度には人心掌握に長けているのかと思いきや、躊躇いなく仲間を手にかける残虐さを併せ持っています。「飽きた」の一言で拷問を中止して引き上げようとするなど、刹那的で快楽主義的な一面が顔を覗かせます。長期的な視座で物事を考えないという危うさはImmortan Joeとは対極に位置するものでした。
◆ We're not so different, you and I.
そして、そんなDementusこそ狂気と暴力が蔓延る本シリーズの世界観を象徴しているキャラクターだったように感じます。過酷な世界であっても子孫繁栄のためにエコシステムを維持しよつと躍起になっていたImmortan Joeに対して、常に欲求に忠実で俺様主義なDementus。いずれも他者を顧みないという点では同類ですが、終末世界に未来を見出さず、刹那的に狂気のままに生きているという点では、マッドな世界にフィットしているように感じました。
「奪われた喪失感と虚しいだけの報復。その後は《生の実感》を得るためだけに暴力に走るのだ。それこそが狂気なのだ。」といった旨の主張がなされていましたが、これはシリーズの一作目から描かれていたことであり、これこそ監督が表現したいことだったのだと受け取っています。(パンフには「極限状態でこそ人間の本質が現れるー。」的な事が書いてありましたが。)
激しい戦闘シーンや過激な描写はあったものの、おそらく今作で一番激しいアクションが展開されていたのであろう「Immortan Joeの軍勢」と「Dementusが率いるバイカー軍団」が全面衝突するシーンは直接描写されていませんでした。シーンが切り替わった時には既に「敗走するDementuをFuriosaが追跡する」カットになる構成は、今作はあくまでもFuriosa其の人にフォーカスした作品であることを思い出させるものでした。
『Mad Max: Fury Road』に直接つながる終わり方でしたが、その後の顛末を知ってしまっているが故に、諦めず希望を胸に抱き続けている若き日のFuriosaの姿に切なさが込み上げてきます。今作を見た後であれば、前作で描かれていたトラウマ里帰りの絶望により強く感情移入してしまうでしょう。
〝Whatever you do, however long it takes,
promise me you'll find your way home.〟