家族のリアリティ半端無い。
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もし両親が聴覚障がい者だったらと想像しても全くリアリティが湧かないが、主人公(吉沢亮)の家庭のリアリティが半端無い。 大人になっていくまでの心の移り変わりが実に見事に描かれている。ラストシーン、あれはは泣くわ。
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“耳のきこえない母”と“きこえる息子”の心に響く物語。宮城県の小さな港町で暮らす五十嵐家に、男の子が生まれた。両親、祖父母は“大”と名付けて誕生を喜ぶ。ほかの家庭と少しだけ違っていたのは、父・陽介と母・明子の耳がきこえないこと。幼い大にとって、時には母の“通訳”をすることも“ふつう”の楽しい日常だった。しかし成長とともに、周囲から特別な目で見られていることに戸惑い、苛立ち、母の明るさすら疎ましく思いはじめて、冷たい態度をとることが増えていく。心を持て余したまま20歳になり、逃げるように東京へ旅立つ大。そして数年後。“きこえない世界”と“きこえる世界”のふたつの世界を行き来するなかで、帰郷したある日、記憶の底に隠れていた母への思いもかけない気持ちがあふれ出す。
©五十嵐大/幻冬舎 ©2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会
もし両親が聴覚障がい者だったらと想像しても全くリアリティが湧かないが、主人公(吉沢亮)の家庭のリアリティが半端無い。 大人になっていくまでの心の移り変わりが実に見事に描かれている。ラストシーン、あれはは泣くわ。
観てから1週間が過ぎた。 観る前、予告を観て泣き、 観てからはYouTubeで呉監督のインタビューを見たりしながら またここに戻ってきて、予告を観て 今はまた泣いている。 うまく言葉にできない たくさんのおもいが溢れてしまう。 ろうだからとか、コーダだからとかは ほんとに関係なく、親と子の話 外側のことじゃなくて 内面で感じることが自分と重なる部分も多くて ほんとうになんとも言えないきもちになるけれど あたたかくて、やるせない なんとも言い難いおもいが溢れる 素晴らしい作品でした。 近くではもう終わってしまった。 早く、また観たいな。
コーダの苦悩は思ったよりあっさりと描かれていた印象。 それよりも、どの家族も必ず通る、子どもの成長に伴う親との関係性の変化、親離れする過程を丁寧に描いていたように感じた。 障害者の親を恥ずかしく疎ましく感じて離れたのに、同じ障害を持つ人たちのコミュニティに結局自ら入るんだーと思ったが、そこから親を理解するきっかけを得ることになる。 子を持つ親、親を疎ましく感じた事のある子、どちらにも、感じるものがあると思います。 エンディングの歌の歌詞が、作中に出てくる母親から届いた小包に同封されていた手紙のセリフになっていたような…素敵な歌でした。
上映終了1日前にやっと観に行けた。 パンフレットは売り切れだった。明日で終わるからもう入荷は無いと言われて、とても残念だった。 小説も読みやすくてスラスラ読めたのは、五十嵐先生の文才ですね。 映画も良かった。 なかなかの家庭環境で、優しく育ったのは、ご両親、特にお母様の愛情ですね。 私ももっと子どもに愛情を持って接してあげれたらと。 自分がコーダだとカテゴライズされたことで、救われたんだろうな、、、1人ぼっちではないんだと。 なぜ、耳が聞こえない人がいるのか、障害ってなんなのか、何ができるのか、考えなくてはと思える映画でした。
吉沢亮主演でそれを全面に押し出すのならば、終始メインは吉沢亮の主観で進めて、合間合間に子供時代を挟み込む手法が効果的であると思うのだがそれはしなかった。あえて1から子供の成長、家族の姿を順番通りの時間軸で丁寧に見せていくのはこの物語を語る上で必然性があったが同時にとても誠実なように思えた。 (時間軸の入れ替えは一回。それは最大限に効果的にくる) 結局は耳が聞こえる聞こえないは関係なくただのある少年の成長譚である。 母親が疎ましく思いだしそして感謝するに至るまでの過程。まさに普遍的な。 周りの家族たちがよかった。みんな飄々とした性格。おじいちゃんは豪快に笑い飛ばす。おばあちゃんは手話はしないが気にしない。お父さんは大は大丈夫だと懐深い。普通は離散しそうなもんである。しかしなんだかんだ言っても家族で一緒にいる。一緒に住む。一緒にご飯食べる。一緒に喧嘩する。それはそれで幸せではありますねある一面では。離散した家族に比べたら。 全員が聞こえて話せるにも関わらず会話をしない家族もあると思います。 ラストの余韻が心を捉えて離してくれません。困ってます。