好きです
この映画のマイケル・ナイマンの曲が大好きで、サントラをかなり聞いていましたが、映画をじっくりみたのは初めてでした。 ある意味若い時に観てたら、今の感想とは違うもので、もっと浅い見方になっていただろうなと思います。 それぞれの愛の行く末に感動し、ベインズの真正面からの告白&離れようとする思いに泣いてしまいました。 嵐の海もいいですね!
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19世紀半ば。 エイダ(ホリー・ハンター)はニュージーランド入植者のスチュアート(サム・ニール)に嫁ぐため、娘フロラ(アンナ・パキン)と 1 台のピアノとともに スコットランドからやって来る。「6歳で話すことをやめた」彼女にとって自分の感情を表現できるピアノは大切なものだったが、スチュアートは重いピアノを浜辺に置き去りにし、白人でありながらマオリ族の入れ墨を顔に入れた男・ベインズ(ハーヴェイ・カイテル)の土地と交換してしまう。エイダに興味を抱いたベインズは、自分に演奏を教えるならピアノを返すと彼女に提案。仕方なく受け入れるエイダだったが、レッスンを重ねるうちに彼女も思わぬ感情を抱き始める。
©1992 JAN CHAPMAN PRODUCTIONS&CIBY 2000
この映画のマイケル・ナイマンの曲が大好きで、サントラをかなり聞いていましたが、映画をじっくりみたのは初めてでした。 ある意味若い時に観てたら、今の感想とは違うもので、もっと浅い見方になっていただろうなと思います。 それぞれの愛の行く末に感動し、ベインズの真正面からの告白&離れようとする思いに泣いてしまいました。 嵐の海もいいですね!
当時リアタイで観た際の感動は記憶にあるが、詳細は正直忘れており。 目と表情でものを言うホリーハンター、大人びてるけど無邪気さも同居する素晴らしい演技の子役のアンナパキン、全てが蘇りつつも新鮮なまま感動。 音楽も映像も全てが美しい。現実と幻想が混ざり合って美しい。
当時年齢を偽って観に行こうかと迷って結局行かなかった。 やっと観られたけど凄く良かった。唯一無二。
20代の頃観て感動。創作活動に夢中になっていた頃で、感性が大いに刺激され、大好きな映画ベスト10リストに入った。 あれから30数年経ち、感性が摩耗したのか何を観てもあまり驚かなくなってしまったが、この映画は新たな驚きに火をつけてくれた。 観た後に、さまざまな意味が未開の原生林の植物のように芽吹いてくる。 あの頃確かに持っていたものを、取り戻せた。
エイダは話せないことの代償として、ピアノに執着している。しかも、ハードとしてのピアノに。演奏よりもむしろ、ピアノの所有によって自己の欠落を埋め合わせているわけだ。無表情で感情の柔軟さに欠けるカタブツ女史が、暗い密林で生活する姿。それは、エイダの魂が無意識の闇を彷徨っていることを意味している。 その闇の奥に住まうベインズはエイダのアニムスであり、ピアノと引き換えに感情を与える。エイダの頑なだった精神は融解して行くものの、執着の源泉を取り除くには、更に指を失う事件が必要だった。それを失ったことは絶望を意味するが、同時にピアノに対する執着も消える。スチュアートによって、執着が「切断」されたのだ。あのDV夫は象徴的には解放者として機能している。 移った先でエイダは、以前のようにピアノを弾くことはできないが、指導者としてピアノに携わっている。それは自分を縛ってきたものから解放された、好ましい姿だ。そして、言葉も取り戻そうとしている。かつての能面のような表情はもうない。 夢の中で海中に没したピアノと共に沈んでいる姿。それは囚われ続けた先の末路の象徴であり、生まれ変わる前の自分、不遇だった過去の自分。 この映画の主題は、特殊な状況下での恋愛、性愛ではなく、エイダが解放されて自分を取り戻すというところにある。死と再生の物語だ。 ついでに言っておくとこの映画、自分の嗜好には合っていないので、特に感銘を受けたとか好きとか言いたいのではなく、分析的解釈の格好のテキストなので、記録しておきたくなった。