☆3.7
「民主国家では宣伝次第でバカでも権力を持てる」 これほど国民と(プロパガンダ作品とはいえ)映画の鑑賞者をバカにした言葉はないだろう。 強い男性権力者の周りで真剣に椅子取りゲームに奔走する男性たち。その中を勝ち抜いた男によって繰り返しされる… 続きを読む
「民主国家では宣伝次第でバカでも権力を持てる」 これほど国民と(プロパガンダ作品とはいえ)映画の鑑賞者をバカにした言葉はないだろう。 強い男性権力者の周りで真剣に椅子取りゲームに奔走する男性たち。その中を勝ち抜いた男によって繰り返しされるヘイトスピーチやデマ、印象操作された情報の数々。 現代社会にも重なる構図だが、当然「これはプロパガンダです」「印象操作の目的でやっています」「今からあなたを騙します」と予め言ってくれる親切な扇動者や広告主、詐欺師はいない。 それどころか、我々鑑賞者がいるのはテクノロジーによって情報の量・伝達速度・拡散性・偽情報のディテールが飛躍的に上昇したにもかかわらず、前提条件や文脈を煩わしさや分かりづらさとして排除し、圧縮・要約された情報が重宝される現代社会だ。 さらにSNSのアルゴリズムによって生み出された断定的で鋭利な言葉の応酬の最前線や、被害を矮小化する嘲笑の洪水の中、不安と憎悪を煽られずに自己を確立しておくことはもはや不可能ではないだろうか。 むしろ人間である自身は煽られやすいこと、騙されたにせよ煽られたにせよ、いつでも隣人への暴力に加担してしまう可能性があることを認識することこそ、人類が積み上げた知恵や経験、歴史という武器なのかもしれない。 冒頭の「ヒトラーという最高責任者だけではなく、犯罪を実行した者たち、希代の悪人を知ることができなければ今日のデマゴーグの武器を奪うことはできない」という言葉が突きつけられる。 《余談》 ①原題を直訳した『総統(指導者)と誘惑者(扇動者)』か、原題『Führer und Verführer』をそのまま邦題にしてほしかった。Verführerにはナンパ師的な意味もあるそうで、女性を口説くゲッベルスの姿にも重なるし、なによりFührerとVer-führerという同じ言葉を含んだ字面が洗練されている。 また、ヒトラーやゲッベルスを目的のために懸命に働き、家族や子どもを慈しむ一人の人間として描いた点が良かっただけに、国民も群衆という塊ではなく、プロパガンダに対する台詞や反応、変化を個別の描写であると良かった。その方が市井の民が悪意なく煽動され熱狂してしまう恐ろしさや、徐々に極端な考えになっていく経緯が鑑賞者に感じられたのでは。 ②一方で、人類にはなぜこんなことができるのか疑いたくなる暴力性とともに、平和を望む非暴力性が備わっている。人類史を通じて暴力が減り続けてきたことが 『暴力の人類史』(原題:The better angels of our nature - why violence has declined,スティーブン・ピンカー著,青土社)に記されている。 いつの時代もアインシュタインが言うところの「人類のはしか」をはじめ、「国益や国家の威信を守る」「聖戦」「秩序維持のため」「やられたらやり返せ」といった武力行使に踏み切る誘惑は絶えないため、暴力抑止のための注意と抵抗を怠ることはできないが、人類は多大なる犠牲と愚行の上に確実に学びを得ていると信じたいし、歴史に学ばなければ愚行を繰り返す運命にあるのだろう。 ③本作を含め、当事国のドイツが自国の過ちを数多の作品として世に出す事に社会と文化の成熟を感じると同時に、最悪な用いられ方をした宣伝とその手法の記録が残っているからこそ後世の人々が知ることができるのだと思うと、記録の重要性とともに、最も身近な国で昨今繰り返される公文書や記録の破棄・改竄・非公開の罪深さと愚かさに遠い目をしてしまう。 (字幕翻訳:廣川 芙由美)