人生の秋、キノコの秋
※本文にネタバレがあります ネタバレを読む
映画は主人公ミシェルが教会の礼拝に行く場面から始まる。教会では神父がマグダラのマリアの話をしている。(マグダラのマリアは、改悛した「罪深い女(娼婦)」の守護人であるとされる聖人であり、この何気ない冒頭の説教場面は主人公ミシェルのための序曲なのだ。) ブルゴーニュの田舎の家庭菜園で野菜を育てながら、ひとり暮らしを営むミシェル。楽しみは親友のマリー=クロードと会ったり散歩に出かけたりすることと、孫のルカが遊びに来ること。娘のヴァレリーとの関係がぎくしゃくしていることだけが悩みの種。 ある日マリー=クロードと一緒に森のキノコ採りに行ったそのキノコで、ひと騒動が起き、ミシェルは愛する孫のルカと会えない事態に陥る。悲嘆にくれるミシェルは、親友のマリー=クロードにそのことを話す。その会話をそばで聞いていたマリー=クロードの息子ヴァンサン…。 ひとつの出来事が玉突きのように別の出来事を引き起こし、それがまた次の出来事を引き起こし…。遂にはキノコ騒動に続く二度目の警察登場となる出来事が起こるが、その重大事そのものは映しだされないため、その直前までの様子と、事後の目撃証言のみが観客にとっての手がかりとなる。 そして嘘。友情と思いやりによってミシェルは警察に嘘をつく。(ルカも嘘をついたようにも見えるけれど、ルカの場合は単によく覚えていなかっただけの可能性が高い。監視カメラの映像の時点で面識はまだなかったのだし、身長の差でルカには外から入ってきた男の顔は見えなかった可能性大だから)。 重大事の映像的空白と、嘘、ヴァンサンの店の開店資金問題等により、怪しい匂いがするような…しないような…ミステリアスな気配が漂うのは、キノコ採りしたキノコの中に毒キノコが混じっているのかどうかが分かりにくいのにも似ている。(ちなみにルカは、少年時代にはキノコは嫌いだったはずなのに、学生になったときにはキノコは以前から好きだ、などと食い違ったことを言い、ヴァンサンも出所直後のレストランでキノコ以外なら何でも、みたいなことを言う。) 物語を紡ぐ監督の舵取りと匙加減は絶妙で、登場人物たちのいずれにも個人的には疑念を抱かないのだが、しかし虚実というのは往々にして曖昧ではっきりしないまま進んでいくのが、恐らく人生の常なのではないのだろうか?毒キノコの見分けが時にとても難しいように。(髪型も変えたミシェルの最後はまるで森のキノコになったかのように見えた…。) 58歳のオゾン監督が眼差し温かく見つめる彼の母親世代の人生の秋は、熟成したワインのように芳醇でミステリアスな香りを漂わせながら、味わい深く、静かだけれど力強い。痛快で面白かった前作(『私がやりました』)とは異なるテイストながら、同様に語りの巧みさを楽しませてもらえる逸品でした。