本音と建前と突破口
【建前】 殺人は良くない。いくらDV夫であってもそれぞれに理由があって、そいつも幼少期に同じように親から虐待を受けてたとかバックボーンがある時も少なくない。同情の余地はある。命は平等。きちんと自分の罪を認めさせてそれ相当の罰を受けるべきだ。… 続きを読む
【建前】 殺人は良くない。いくらDV夫であってもそれぞれに理由があって、そいつも幼少期に同じように親から虐待を受けてたとかバックボーンがある時も少なくない。同情の余地はある。命は平等。きちんと自分の罪を認めさせてそれ相当の罰を受けるべきだ。真摯に反省しなさい。 【本音】 自分だけ良ければ良いという人間のクズ。弱いものに対して鬼畜の如き行い。抵抗できないものに容赦ない暴力をふるえる神経はおかしい。改善の余地なし。暴力を受けたもののことを考えたことがあるか。殺されて当然。殺すだけでは物足りない。痛みを与えで殺したい。いや、自分より大きなものから同じような暴力を振るわれるべきだ。一回だけでなく、何度も何度も何度も。全く歯向かうことができない圧倒的な暴力の恐怖を。そして永遠に閉じ込めてもう2度とここから出られないという絶望感を味あわすべき。恐怖に打ち震えて人生を送れ。 「暴力に対して暴力で返すことでは負の連鎖は断ち切れない」という言葉は、圧倒的絶望感の中で暴力を受けたことのないヤツのセリフだ。 また自分の向けられた愛情を都合よく利用してるのが許されない。全く反省の色もないところもまた腹立たしい。あー!むかつく。 というような【本音】と【建前】が思考回路の中をぐるぐる回る。ぐるぐる回るが建前はもう風前の灯でいつしか本音だけが心を掻き乱す。ゆえに「シャドウワーク」を大肯定する者である。やれ!やってしまえ! しかしこの映画はそんな理不尽な暴力や仕返しの暴力を肯定しているわけではない。 もっと視点の大きな映画である。 それぞれの人物に深みがあり、人間とはなんぞやと突きつけてくる。 そして一般のDVを扱う作品とは見せ方として大きく一線を画す。「殴る」というようなわかりやすいシーンは見せずに、もっと陰険でコレをされたら1番嫌だろうとい形を提示してくるのだ。「小鳥」を殺すなど拠り所を壊すような。 これは狙ったものであると監督はインタビューで言っていた。 ラストの対決シーンもクールなアクションシーンでは見せない。暴力の象徴である男性に対して、ひ弱な女性たちが真っ正面から力を合わせてカッコ悪くもがき苦しみジタバタしながらそれでも諦めずトドメを刺す。捉え方によれば、男性の得意技である「暴力」対して同じ「暴力」ですら勝ってみせた。自分の得意技で負けてるのです。もうぐうの音も出ません。気持ちいい完全勝利ですね。 さらに監督は断言する。「これはエンターテイメントだ」と。何かを伝えたいと言うものはなく、わかりやすく答えを提示できる内容ではない。こんな現実社会があると目を向けるきっかけになればいいと。 作品として優秀で質が高いものであればその負荷価値として社会へのメッセージも届くことがある。逆にある強い思いで作品を作っていると優秀で質の高い作品が生まれる。これはどっちが正解なのかは答えは出せずにいます。いや、両方が正解なのあるのでしょうね。 近年では社会問題をエンターテイメントとして取り扱うことで批判を受けることが多く製作に困難が伴う土壌があります。 それでも中島哲也監督「時には懺悔を」とかの同じ志を持った作品も出てきている。これらの作品が息苦しい世の中に風穴を開けてくれていると思います。閉鎖的な世の中の突破口になる。本音と建前をエンタメに込めながら進め。 映画の力をオレは信じている!