自主製作・自主配給──驚くべきことに極めてインディペンデントなやり方で、戦争がいかに人間の精神を崩壊させていくかを真正面から描いた強烈な「反戦映画」が新たに誕生した。
クエンティン・タランティーノや『ブラック・スワン』のダーレン・アレノフスキーなどが彼のファンを公言し、『鉄男 TETSUO』や『六月の蛇』などで世界的に知られる鬼才・塚本晋也監督の最新作『野火』が、終戦から70年となる2015年7月25日(土)より公開される。大岡昇平が自身の戦争体験を基に綴った1951年の同名小説を映画化した『野火』は、第二次世界大戦末期のフィリピンを舞台に、監督自身が演じるひとりの兵士を通して、戦争/戦場における極限の恐怖を観る者に追体験させる衝撃作だ。
およそ20年ものあいだ映画化を願い続けてきたという『野火』について、そして本作に込められた「反戦」への想いについて、塚本監督にお話を伺った。
フィリピンの原生林の美しい自然とドロドロになっていく人間のコントラストがテーマ
──容赦のない暴力描写が覚悟の表れだと思い、圧倒されました。低予算で制作されたとお伺いしましたが、凄まじい戦場もしっかり描写されていて驚かされました。実際はどのくらいの期間で撮影をされたのでしょうか。
塚本 2013年の5〜6月頃からスタートしていて、主にはその年の年末まで。ずっと撮影をしていたのではなくて、作り物の準備しては撮影、という風に準備と撮影を繰り返して、年末まで撮影をしていました。で、次の年に編集をして、9月にヴェネチア映画祭に持って行きました。
──どこかからお金を出してもらったということは一切なかった状態で制作なされたのでしょうか。
塚本 自主映画ではちょっと作れないと思っていましたし、元々大作として作りたかったからお金が必要だったんですけど、結局、自分のお金で作りました。いつもの自主映画でしたら脚本を書いたらすぐに作り始めるんですけど、あの時は前に作った映画で得たお金も少ししか残ってないし、本来だったら自主映画じゃなくやりたかったんですが……。
──塚本監督の映画は「主観」のイメージが強く、手持ち撮影の臨場感もそこに作用してるように感じます。
塚本 お客さんに同時体験してもらいたいという気持ちが強いですね。
──戦場の感覚を体験してしまう映画でした。
塚本 まさにそう感じてもらいたいと思って作りました。
──そういった部分がやはり市川崑監督が映画化した『野火』(1959年)とは異なるように思います。
塚本 市川崑監督は、大尊敬していて大好きです。『野火』に関しては、原作を読んだイメージを映画にしました。原作からはフィリピンの森と原生林の美しい自然とドロドロになっていく人間のコントラストをすごく感じたので、そっちをテーマにしました。
──市川崑監督版を見直されたりはされたのでしょうか。
塚本 そうですね。市川版『野火』も大好きですので。
──装備はひとつひとつみなさんで手作りされたのでしょうか。
塚本 ボランティアで集まった人たちと手作りしました。自主映画ではあるけれど、作り物はいつも凝って制作をします。衣装の得意な人とか造形の得意な人もいますけど、全く何も得意じゃなくても情熱さえあればどんどん作ってもらいました。普通作れないだろというようなものまで作ってくれました。
綺麗な緑とか美しい青空がそこにあるのに、突発的に弾が飛んできて、
一瞬のうちに自分たちが屍に変わってしまうかもしれない恐怖を描きたかった
──作品の中では、恐怖や死といったものが必ず唐突に襲ってくるように思いました。加えて、全く状況を説明しない作りにより、巻き込まれていくような感覚があり、そういった部分も市川崑監督版とは異なるように感じました。
塚本 そうですね。綺麗な緑とか美しい青空がそこにあるのに、突発的に弾が飛んできて、一瞬のうちに自分たちが屍に変わってしまうかもしれないという恐怖を描こうと思ったんです。相手が見えないというか、敵が見えなかったりとか、あるいは自分を命令する上官も見えない、そういう不安な彷徨いみたいなことを映画にしようと思いました。
──前作『KOTOKO』(2011)の時から「戦争が近づいてくる恐怖/予感」みたいなものがあったかと思いますが。
塚本 もうちょっと前──『バレット・バレエ』(1998)を作った時だから16~7年ぐらい前からずっと感じてはいたんですけど、大地震があって放射能がこぼれて、世の中がどう成り立っているのかが露呈した時に、不安とともに戦争がぐっと近づいてきているように感じました。そのときには(『KOTOKO』の)脚本はすでにできていたんですけど、そういった不安感は『KOTOKO』に濃密に表れているかと思います。
──今年で戦後70年目というのは意識されていたのでしょうか。
塚本 10年前に作ろうと思った時に80代だった戦争体験者──実際に戦争に行った人──が今90代に入ってきてしまっている。戦争のことを語る人がいなくなってしまうので、語る人の代わりに表現して戦争というものをわかってもらわないといけないという気持ちが強かったので、そういうタイミングで作ったような感じです。
──社会的にも戦争のために命を捧げることを美談として消費するような懐古主義的な映画や本がヒットしているような状況で、この極限の恐怖を描いた映画というのは素晴らしいと思いました。
塚本 色々な語り方はありますが、このぐらいキツく、そのことばかりにポイントを置いた映画があってもよかろうって感じで作りました。
──主人公の患う結核の息苦しさ、戦争という現場に馴染めていないような感じというのも、我々観客に戦地における居心地の悪さ、極限状態の堪え難い感覚をさらに共有させるもののように思いました。
塚本 それはもう本当にそのことを描きたくて描いたので、まさにその通りですよね。あとは戦場に馴染んでない感じですよね。戦争の空間に主人公の田村は何か馴染んでいない。ひとりだけちょっと客観的なというか、引いた目線でその場にいるような感じ。原作の印象もそうでした。
登場人物はみんな「普通の人」です
──役作りに関してもお伺いしたいのですが、田村一等兵を演じるにあたってどのような取り組みをなされたのでしょうか。
塚本 痩せたんですね。30代を過ぎてから一番痩せる限界が55.5キロだったのを53キロまで落としました。スタッフもやらなきゃいけないので、それがギリギリの体重でした。53キロは自分が中学生ぐらいの時はこの身長で53キロだったので、その時は限界ではなく普通だったんですけど、やっぱりいかに若い時は新陳代謝が良いかってことだと思うんですけど、その時の体重だったんですね。役作りはもうそれだけで、あとは素晴らしい俳優さんとか、その時の状況に対する「受け」の芝居というか、自分が何か発するというより出来事に対して受けていくようなポジションで基本はやっていました。周りの状況に合わせて変わっていく消極的な狂言回しでしたね。
──田村一等兵は狂言回しという位置づけなのでしょうか。
塚本 えぇ、回してもあんまりいないんですけどね。状況に合わせて回されてるような感じではありますが。
──演じられた田村一等兵とは、どのような人物でしょうか。
塚本 田村一等兵は原作の小説もそうですけど、戦争の状態にどっぷり浸かりきらない、何か少し客観的に見ている、自分の常軌を逸していく精神状態さえも客観的に見ている人だと思います。その目線が戦争が終わって何年も経った時の高校生の自分にも共感として繋がったんじゃないですかね。いつの時代の人がどう読んでも普遍性が保たれていると思うので、田村というのはその目線の人だと思います。
──逆に、安田(リリー・フランキー)と永松(森優作)という人物はどのような人物だと思われますか。
塚本 人間らしい人間だと思います。永松もあの状況だったら泣き虫にもなるし、凶暴にもなる。安田のようになけなしのもので利害関係みたいなものを作ったりとか、命乞いもするし、みんな「普通の人」です。
ファンタジーではない、本当に嫌だ、痛いという暴力を描かないといけないと思った
──市川崑監督版では避けていた人肉を食べる表現などにも向き合い、戦場での「リアル」を描いているように思いました。
塚本 戦場とかに行くと絶対こうなってしまうだろうってことを描いているつもりです。そして、それは実は原作と同じだったんですけどね。市川崑監督はあるモラルで食べるのをやめてる。原作もそれと同じぐらい葛藤してるんですけど、その葛藤を市川崑監督はシンプルな形で「食べない」ってことで表した。自分の方はそういう状況だったら、食べようとすることは充分にあり得ると描きました。
──今までの塚本監督の作品では、何か秘められていた内面/潜在意識が表出してそれに基づいたヴィジュアル世界になっていくようなイメージがあったんですが、今回はまた違うものだったのでそれもまた驚きでした。
塚本 今までは自分の心の中にあるものを形にするっていうのが自分のこの上ない喜びだと感じていたんですけど、今度は戦争を体験した人が書いた世界を追体験していきたい、っていう全く今までとは違うアプローチでした。
──これまでの塚本作品のイメージはどこか「漫画っぽいリアルさ」「漫画的表現のリアリズム」の魅力を感じていましたが、今作では圧倒的な「リアルそのもの」を感じました。
塚本 今までは、ぼく自身が劇画世代だったりするから、そういう表現が自分にとっては「リアル」だったんですけど、でもその時までの暴力はどちらかというと、ファンタジーとしての暴力だったんです。今度はファンタジーではない、観ていて本当に嫌だ、痛いという暴力を描きたかった、描かないといけないと思っていました。
──今のこういう風潮の中で日本人がどのように受け取るかも気になります。
塚本 衝撃を受けたり、反発を感じたり、色々すると思うんですけど、それも含めてとにかく一回観てもらって、感じてもらって、親しい人と話し合いの材料にしてもらえたらと思います。
【公開情報】
『野火』
原作:大岡昇平「野火」
出演:塚本晋也、リリー・フランキー、中村達也、森優作
監督・脚本・編集・撮影・製作:塚本晋也
配給:海獣シアター 日本/2014/87分
公式HP:http://nobi-movie.com/
(C)SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER
2015年7月25日(土)よりユーロスペース、立川シネマシティほか全国順次公開
PROFILE
塚本 晋也 Shinya Tsukamoto
1960年1月1日生まれ。東京出身。14歳で初めて8mmカメラを手にし、88年に映画『電柱小僧の冒険』(87)でPFFアワードグランプリを受賞。劇場映画デビュー作となった『鉄男 TETSUO』(89)が、ローマ国際ファンタスティック映画祭でグランプリを獲得し、以降、国際映画祭の常連となる。中でも世界三大映画祭のイタリア・ヴェネチア国際映画祭との縁が深く、『六月の蛇』(02)はコントロコレンテ部門(のちのオリゾンティ部門)で審査員特別大賞、『KOTOKO』(11)はオリゾンティ部門で最高賞のオリゾンティ賞を受賞。さらに97年と05年の2度、コンペティション部門の審査員を務め、第70回大会時には記念特別プログラム「Venezia70-Future Reloaded」の為に短編『捨てられた怪獣』を制作している。その長年の功績を讃え、09年にはスペインのシッチェス・カタロニア国際映画祭から名誉賞、14年にはモントリオール・ヌーヴォー映画祭から功労賞が授与された。俳優としても活躍しており、02年には『クロエ』、『殺し屋1』、『溺れる人』、『とらばいゆ』の演技で毎日映画コンクール男優助演賞を受賞。遠藤周作×マーティン・スコセッシ監督『SILENCE(原題)』(2016年全米公開予定)にも出演している。