【映画Review】『わかってもらえない』(2014TIFF/ワールド・フォーカス)

『わかってもらえない』
監督・脚本 : アーシア・アルジェント
出演:ジュリア・サレルノ(アリア)/シャルロット・ゲンズブール(母)/ガブリエル・ガルコ(父)/カロリーナ・ポッチョーニ(ルクレツィア)/アンナ・ルー・カストルディ(ドナティーナ)
incompresa_affiche©Angelo Turetta

【作品解説】(東京国際映画祭公式サイトより)
9歳の少女アリアは、ピアニストの母と俳優の父を持ち、3人姉妹の次女。激しいケンカが絶えない両親はついに離婚。長女は父親、三女は母親に付くが、次女のアリアはどっち付かずの存在となり、バッグと黒猫を抱え、母と父のもとを往復するはめになる。芸術家の両親に翻弄される少女のポートレートであることから、映画監督と女優を両親にもつアーシア・アルジェント監督の自伝的内容であると想像しがちであるが、自分の体験からインスパイアされたことはあるとしても、自伝的ではないと本人は語っている。「子供時代に、他人から、そして特に親から理解されていないと感じたことがない子供などいるだろうか? 自分もそう感じていた」という、その感情をそのままいかしたのが本作である。80年代のルックを巧みに再現し、多感で孤独な少女の物語を、ステレオタイプの展開を避けながら爽やかな後味を残す出来栄えに仕上げた、アーシアの監督としての力量が証明された秀作。

【レビュー】
さみしくて誰かに甘えたい時でも、黒猫のドック以外にアリアに誰も優しくはしてくれない。両親や姉妹、友だちからもわかってもらえず、どこにも居場所を見つけられない日々を生きるアリア。(本人は否定しているにせよ)どう考えたって映画監督(ダリオ・アルジェント!)と女優との間に生まれたアーシア・アルジェントが自らの少女時代を自伝的に描いた『わかってもらえない』は、苦労のあった自らの過去の生活の日々や自身がモデルであろうアリアへ同情を引くような作りの映画ではない。『わかってもらえない』で小さなアリアは、気分が高揚するエレクトリックなポップ・ソングや自由を謳うパンクなレベル・ミュージックとともにカオスな世界を懸命に駆け抜けていく(女の子は長髪でいるべきだ、なんてこともアリアには知ったこっちゃないのだ!)。

アリアは親友が大好きだからお互いを「イスト」と同じ名前で呼び合う。親友と一緒に近所のポストから郵便物を盗み出し、ラブレターを見つけてはそれをもとあったポストへと戻し、書かれていた待ち合わせ場所で観察してみる。大人へ無邪気にいたずらをする2人は『ゴーストワールド』のイーニドとレベッカをどこか思わせる。しかし、イーニドとレベッカがそうであるように、ずっと一緒だった彼女たち2人もずれてきてわかれていってしまう。誰もちゃんと祝福してくれないからとせっかく自ら開いた誕生日パーティーでクラスメートに祭り上げられてからかわれるアリアは、まるでプロムで笑いものにされる『キャリー』の少女のようだ。「わかってくれない」世界にピュアなまま反抗するアリアはイーニドやキャリーがそうであるように、うまく社会を歩き渡って行くことができない。

純粋無垢が故に決して悪気はないのに両親を傷つけ、嫌われてしまうアリア。好きな男の子から誤解され冷たい言葉を吐き捨てられるアリア。助けてほしい時にも親友はもうアリアに手を差し伸べてはくれない。無情な大人や悪意を持った子どもばかりの残酷な世界の中で家族や親友、好きな人とだけただ仲良くいたいと願うアリアの気持ちをアーシア・アルジェントは観客と共有できるよう綴っていく。アリアの詩的なモノローグがその時その時に彼女が感じた素直な思いを吐露していく『わかってもらえない』は、映画全体が彼女の詩のような印象の作品になっている。それは整えられた美しい詩などではなく、青臭い思春期の少女が書きなぐった詩である。つまり、大人になってしまった者が回顧して上から目線で描いた映画ではなく、苦しみの中にいる子どもの目線そのままに綴られているからこそ、理解できない世界はカオスそのもので、時に世界は鮮やかで、痛いほどに彼女に対して私は共感してしまうのである。

「私なんかいてもいなくてもおんなじ」──もう死んじゃいたい、という世界に居場所を見つけられない気持ちをアリアという一人の少女を通して観客とシェアすることで、アーシア・アルジェントは『わかってもらえない』を観る前のあなたよりも他者に対して、そしてこの世界に対して、優しくあってほしいと願いを込めている。まっすぐに私たちを見つめるアリアは、確かに存在するはずの甘くてあたたかい愛をいつまでも求めている。性的搾取の餌食となった少女を描いたルーカス・ムーディソンの『リリア 4-ever』とも近いような、残酷で無理解な世界に絶望したアリアの「誰からも愛されていない」と感じた思いを、その瞳を、私たちは決して忘れてはいけないのである。アリアを知った私たちが、より良き世界を作っていくのだ

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