グザヴィエ・ドラン。彼が17歳のときに書きあげた脚本で、製作・出演も務めた初監督作『マイ・マザー』がいきなりカンヌ国際映画祭・監督週間に選出される。誰もが驚く完成度で3冠に輝き、世界30ヶ国以上で劇場公開された。続く『胸騒ぎの恋人』『わたしはロランス』『トム・アット・ザ・ファーム』の全作品がカンヌ国際映画祭、ベネチア映画祭に出品され、世界の映画祭の常連となった。
そして長編5作目『Mommy/マミー』で、ついにカンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出され、初コンペにして「審査員特別賞」を受賞。83歳の巨匠ジャン=リュック・ゴダールとのダブル受賞だったことや、受賞スピーチでの同世代に向けたメッセージが多くの人の感動を呼んだことなど、大きな話題を集めた。
この夏、『神のゆらぎ』で俳優として出演した作品が公開となる。ドランは各種インタビューで自らのバックグラウンドは役者にあると話している他、自らの監督作品でも主演を務めるなど演技面での技量も相当なものだ。【監督・俳優のススメVol.24】では、敢えて「監督」や「俳優」という“眼鏡”を外してドランという人間を考えてみたい。今彼が立っている“文脈”とはどのようなものなのだろう。
■カナダ、ケベック出身であること
ドランの生まれは1989年のカナダ、ケベックだ。昔から、フランスとイギリスの戦争の場として、且つ北アメリカの先住民の居住地として、無数の思惑が複雑に絡まりあいながら独特な文化を育んできた土地である。政治と宗教の揺れが、たとえば言語問題として人々の生活に直結していることは有名だが、似た者同士が必ずしも穏便に暮らすわけではないデリケートな環境下で、ケベック映画は常にふたつの大きな課題を抱えてきたという。
ひとつは映画においてアイデンティティの確立を果たすこと、もうひとつはそれを、観客を動員しながらきちんと実行することだ。
ここで少しケベックの歴史に触れてみたい。フランス支配にはじまったケベック州は、植民地化された当初からカトリック主義の極めて強い社会であった。そしてその教えは、「伝統の固守、内面生活の尊重、土地への愛着」となって、フランス系カナダ文化を深く支えることに。その後、イギリス支配がはじまるもフランス文化は根強く残存、フランス語と英語が公用語となる。そして1960年からはじまった「静かな革命」、これは中世的カトリックの保守的な空気からの解放と近代化を求める変革運動なのだが、当時の若いクリエーターたちはこの革命的な風にのって、アイデンティティや人種差別、同性愛、宗教といったテーマを積極的に扱った。この時期にケベック映画のイメージの基盤もできたのだという。若きケベック映画は教育することや模範を示すことを拒否し、大きな変革の中にある社会の真実のもっとも近くにいることを望んだ。観客の夢ではなく、生活している人たちの言葉を取り上げるために、商業的成功からは距離をおきたい、という作家たちの本音も語られている。
こうして上記のような課題、特徴を持つようになったケベック映画だが、この土地から生まれた才能としてほかに挙げられる映画監督には、アカデミー賞外国語映画賞『みなさん、さようなら』(03)のドゥニ・アルカン、オスカー3冠『ダラス・バイヤーズクラブ』(14)のジャン=マルク・ヴァレ、『プリズナーズ』(13)や『複製された男』(13)で高く評価されるドゥニ・ヴィルヌーヴなどがあげられる。このように、抑圧故に強くアイデンティティを求める土地の歴史の延長線上でドランの才能も開花しているのだ。
■LGBT(同性愛者)であること
ドランの映画では同性愛がひとつのテーマとして大きな存在感を放つ。LGBT映画は描写の仕方への賛否両論が特に多くなされるけれど、ドランの描き方は嘘臭さのない自然なものだと言えるだろう。これは自身が同性愛者であることとの関係が大きいと思われるが、このことの背景にもやはり出身国の影響があるのではないだろうか。
2005年、カナダでは同性婚が合法化された。これは、オランダ、ベルギー、スペインに続き世界で4番目のことだった。以後カナダは教育や街づくりなどに力を入れて、LGBT先進国として広く知られるようになる。2014年にはLGBTの国際的な祭典「ワールド・プライド」がトロントにておこなわれている。このような流れにあって、カナダにおける同性愛認識に差別的な要素は少なく、「カミングアウト」することも他の国に比べれば普通のことだという。
同性愛者は長い歴史の中で、自らの感じ方を理不尽に否定され、世界では同性愛をめぐる争いも多くおこなわれてきた。ドランも、同性愛者として一度はその文脈に立たされたに違いない。しかしそこで生まれた並々ならぬ反骨精神はきっと、カナダという社会の変化に便乗しながら素晴らしい才能として開花しているのだろうと感じさせる。
■自己表現と対峙すること
ドランの監督作品に共通するものがあるとすれば、それは、早熟故に自己の表現として愛を語れる点だろう。19歳、最初に手にしたメガホンは『マイ・マザー』という彼の半自伝的な作品を生み出した。その後も彼は自らの経験に根差すストーリーで多くの観客を魅了してきたが、自身の感じ方が偽りなく放たれた画面に映るのは、当然人間のリアルである。そしてリアルだからこそぶれない映画の主張は胸に迫るものがある。
ドランはこれまで、母と息子、男と女、男と男、家族と社会、などの視点で愛を扱ってきたが、そのすべてにおいて、純粋な愛が少しずつ歪んで歪んで残酷な域に触れてしまう瞬間にフォーカスしている。愛し愛されることの難しさや、人間が他の人間にはなれないことへの絶望、そして個々の孤独。彼が最も丁寧に描きたい部分であると同時に、ともすれば映画で何よりも語られやすいこのテーマにおいて、それでもドランの映画に人を感動させる力があるとするならばそれは、彼の映画が自伝的であることに由来するのかもしれない。
彼はとあるインタビューにおいて、自分はマドンナのように自分を表現したいだけだとコメントしている。ありのままの自己を投影した作品でデビューして以来、早熟の天才として若さ故に多く浴びてきたであろう批判や中傷にも負けず、立て続けに良作を生み続ける、そんな彼の根底には、正面から自己表現をするのだという覚悟と開かれた姿勢の存在が窺える。シンプルな理論でシンプルに闘い続けることほどの「強さ」はないとするなら、それこそがドランの武器であり魅力なのだろう。
■この夏『神のゆらぎ』が公開
『Mommy/マミー』でカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞、また最新作『It’s Only The End Of The World(原題)』が、第69回カンヌ国際映画祭のコンペ部門に正式出品(スピーチ全文はこちら)され、今もっとも勢いのある若手実力派監督であり自身も俳優として活躍めざましいグザヴィエ・ドランが、「今までやったことがない役どころだったので、ぜひ演じてみたいと思った」と出演を熱望した、秀逸な脚本によるサスペンスタッチのヒューマンドラマ。
ともにエホバの証人である看護師と、末期の白血病を患うフィアンセ(グザヴィエ・ドラン)。老境にありながら情熱的な不倫を続ける、バーテンの男とクロークの女。互いへの失望を偽りながら暮らす、アル中の妻とギャンブル狂の夫。そして取り返しのつかない過ちを償うためドラッグの運び屋となるひとりの男……。複数のものがたりが現在と過去を往来しながら、終着点—墜落する運命にあるキューバ行きの機内へと向かう…。(公式HPより)
キティエンヌ・シマー役でグザヴィエ・ドランが主演するほか、『Mommy/マミー』や『胸騒ぎの恋人』、『マイ・マザー』などドランの監督作品で常に迫真の演技を見せるアンヌ・ドルヴァルがエヴェリン役で出演する。
映画『神のゆらぎ』は8月6日より新宿シネマカリテほか全国順次公開
【CRDDIT】
監督:ダニエル・グルー 脚本:ガブリエル・サブーリン
出演:グザヴィエ・ドラン、ロビン・オペール、マリリン・キャストンゲ
配給:ピクチャーズデプト 配給協力:アークエンタテインメント
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