高倉健さんへ追悼の声、続々

悪性リンパ腫で亡くなった高倉健さん(享年83歳)に各界から追悼のコメントが寄せられています。
命日の11月10日は、奇しくも森繁久彌さん、森光子さんの命日でもあります。
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長嶋茂雄

「高倉さんとは20代の頃に知り合い、試合前に二人でよくお茶を飲んだり食事をしました。 長男の一茂の結婚式に出席してくれたこともありました。どれも素晴らしい思い出です。 高倉さんから教わることが数多くありました。本当に残念です」

志村けん

(「悲しい 寂しい 辛い」と題したブログで)「どんな言葉でも物足りない 温かい大きな手で握手して よろしくお願いします。 生涯1番緊張して始めてお会いした時 楽屋に 何なりとお申し付け下さい 乙松(編注:99年公開の映画『鉄道員(ぽっぽや)』で健さんが演じた役名)より 綺麗な花がありました なんと優しい心使い 有難うございました 心からご冥福を御祈り申し上げます 高倉健さん お疲れ様でした でも残念です 寂しいです」

吉永小百合(映画『動乱』で共演)

「お知らせに信じられない思いでおります。1986年に中国への旅を御一緒して以来一度もお目に掛かっていませんでした。映画の世界に生きることの素晴らしさを教えていただいた方です。本当にありがとうございました。感謝の思いでいっぱいです」

山田洋次(『幸福の黄色いハンカチ』監督)

(新作『家族はつらいよ』(2016年公開予定)の撮影の合間に取材に応じ)「本当に今、こんなところに出たくないし、何も言いたくないんですけどね。むしろ健さんに失礼…無視したみたいで。だから出てきました」「(健さんが)次の作品を準備しているという話を聞いていましたので、ああ元気にしているんだな、と思っていました。健さんは同い年なんですよ。健さんが元気でいてくれることが、どれほどぼくの励みになっていたことか。健さんに仕事が入る、良かった…僕も頑張れる、ということ。それが、いなくなってしまった…。僕はすっかり気落ちしてしまいます。きわめて繊細で、人の気持ちをよくわかる本当に行き届いた方でした」「ぼくにとって渥美清さんと高倉健さんは、間違いなく、巡り会うことのできた二人の偉大な俳優でした。渥美さんも同じように、誰にも迷惑をかけたくないという気持ちで、ひっそりお亡くなりになりましたが、今頃お二人が巡り会って、話でもしているのかなと思います」「ちょうど、『幸福の黄色いハンカチ』でも、渥美さんと健さんが久しぶりに出会うシーンがあるのですが、あの時の情景が今、ぼくの胸に浮かんでいます」

佐藤純弥(1975年公開の健さん主演の映画『新幹線大爆破』監督)

「映画がまだ元気だった頃、時代を背負ったスターと共に仕事が出来たことは幸せでした。時の移り変わりは当然のことですが、高倉健さんは決して死なないような気がして、訃報を聞いた時はひとつの時代が終わったことを実感しました」

降旗康男(映画『鉄道員』監督)

「残念の一語に尽きる」

大竹しのぶ(映画『鉄道員』で妻役として共演)

「たった一度だけの共演でしたが、10本も20本も映画を撮ったような、豊かで素晴らしいことを沢山教えて頂きました」「映画人・『高倉健』の魅力は、そのまま人間・『高倉健さん』の魅力です。美しく、気高く、そして何よりも優しい健さんを一生忘れません。神様みたいな人が、本当の神様になってしまったようです。淋しいです」

広末涼子(映画『鉄道員』で娘役として共演)

「今もまだ信じられません。ただただ、悲しくて、淋しいです。健さんに撮影現場で聞かせてもらった音楽、入れてもらった珈琲、かけていただい優しい言葉たち、背筋の伸びた大きな体で、力強く抱きしめてもらった思い出…全て全部、忘れません」

浅野忠信


浅野さんは、ハリウッド映画『バトルシップ』に出演した際、「高倉さんがいなければ、アメリカでも頑張ろうという気にならなかった」とも発言しています。

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中野英雄

笹野高史

GLAY TERU

劇画原作者・小池一夫(『子連れ狼』など)

野口健

星田英利(ほっしゃん。)

中川翔子

(ブログで)「父、中川勝彦は映画海峡の新人オーディションで選ばれて出演していました」「(高倉さんは)日本の宝である方 ご冥福をお祈りいたします」

歌手・今陽子

(「高倉健さん…」と題したブログで)「昭和の大スター 高倉 健さんが83歳で お亡くなりになった。私は、10代の頃 江利チエミ先輩に可愛がっていただき、健さんとの大恋愛、結婚生活のノロケ話を よく聞かせていただいた…天国で再会できたら いいなぁ~ご冥福をお祈りします…合掌…」

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