逝去した菅原文太さんへ映画などで共演した方々から追悼のコメントが続々と寄せられています。
吉永小百合
「本格的な共演は『映画女優』だけでしたが、密度の濃い日々でした。市川崑監督のもと、溝口監督と田中絹代さんに扮しての芝居でしたが、緊張感の中で胸が躍りました。近年の社会的なご発言も私の心に強く響いております。ご冥福をお祈り申し上げます」
北大路欣也(『仁義なき戦い 広島死闘篇』等で共演)
「映画『仁義なき戦い』『ダイナマイトどんどん』で共演させて頂きました。激しく、熱い、文太さんの波動が忘れられません」
松方弘樹(『仁義なき戦い』で共演)
「色んなことを教えていただいた。文太さんは9つ上、高倉健さんは11歳上。(私は)とても相手にはならないんですが、文太さんはまだ近かった。いい兄貴分でした。ショックどころじゃない。健さんも悲しかったけど、文ちゃんはもっと近かった。何本も共演した。うそでしょと」
千葉真一(『仁義なき戦い 広島死闘篇』等で共演)
「参りました。何かが出切っちゃった感じです」「(菅原さんが俳優業から退いてから会うことはなかったが、)講演活動などをしているのは知っていて、共通の知人に"くれぐれもよろしく伝えてくれ"と頼んだことも2度ほどあったので、元気で頑張っていると信じていた。まさかとしか言いようがない」「(寄る年波は)どうにもならないんですかねえ。ショックがあまりに大きい」「健さんに続いてなので、自分が滅入ってしまいます。お二人とも日本の宝ですから、寂しい、その一語です」
池上季実子(『太陽を盗んだ男』で共演)
(「なんて、言うことでしょう!思わず、声が出てしまいました!!」と題したブログで)「文太さんとは『太陽を盗んだ男』でご一緒しました。3日間徹夜なんて言う撮影の中、待ち時間に文太さんから、いっぱい質問攻めにあった事を思い出します。画面の中の激しいキャラクターとは別に、穏やかなやさしい先輩でした。心から、御冥福をお祈り致します。」
浅野忠信(『わたしのグランパ』で共演)
菅原文太さん
撮影で一緒に過ごした時間がとても楽しかったです
ありがとうございました
心からご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/gssQeYyRpl— 浅野忠信 ASANO TADANOBU (@asano_tadanobu) December 1, 2014
宇梶剛士(菅原さんを「親父」と慕う)
今日は東映撮影所で撮影をしています。18歳のなかばすぎに親父について東映撮影所に来たことを思いだしていました。
菅原文太という人は、いつでも弱き者の味方でした。
— うかじたかし (@Ukajiii) December 1, 2014
須藤理彩
文太さんの訃報。。15年程前『天涯の花』という作品で共演させて頂きました。山に籠り、約一月寝食を共にさせて頂き、毎夜夕食時に『リモコンは渡さない!』とプロ野球中継を独り占めして、してやったり顔の文太さんはあまりにもお茶目で、意外だったことを思い出します。御冥福をお祈り致します。。
— 須藤理彩 (@risa_sudou) December 1, 2014
鳥越俊太郎(菅原さんが始めた国民運動グループ「いのちの党」の活動などで交流)
「日本人の精神を代表した人たちが亡くなるのはぽっかり穴があいたような感じがします。日本の今の政治、社会、文化に対するありように危機感を抱いていた」
加藤登紀子
「ずっしりとした菅原文太さんの存在感が忘れられません。東日本大震災の後、農業に軸足を置いた日本の未来を開くために、生活を懸けて尽力されたこと、本当にありがたく思っています。文太さんの志をしっかり受け継いでいくことを胸に、心からご冥福をお祈りします」
小林幸子
「びっくりしました。(映画での共演経験はありませんが、)トーク番組でも何度もご一緒しましたし、撮影所では何度もお会いしました。ヤクザの役をやっているときは、本物が来たような近寄りがたい雰囲気がありましたが、寡黙で優しい方でした。楽屋にいらっしゃる時は本当に優しくて……大スターがお亡くなりになるのは寂しいですね。すてきな方でした」「昭和が……悲しいですね。時代が終わると思わざるをえない現実ですね。大スターですもんね、感謝です。残された人間、こうやって明るく生きていきましょう」
せんだみつお(『トラック野郎』で共演)
「(高倉健さんに続く訃報に)僕が憧れた世代の人がみんな消えていく。さびしくてしょうがない。映画でとてもかわいがってもらい、画面を見ていても目頭が熱くなります。やっぱり巨星落つ、というか、昭和のスターが1人ずついなくなっていく感じでつらいです。知的な方で、この場面はこうやって、と緻密に計算するところが大好きでした」
神木隆之介
「映画『妖怪大戦争』撮影時にはとても良くして下さり、本当の祖父のようでした。またご一緒したいと思っていましたので、本当に残念です」
妻・文子さん
「七年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち「朝に道を開かば、夕に死すとも可なり」の心境で日々を過ごしてきたと察しております。「落花は枝に還らず」と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機野菜を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。すでに祖霊の一人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。恩義ある方々に、何の別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます」
高倉健さん、ガッツ石松さんと